世界は称賛に値する

日記を書きます

20230819 破綻の話

風景は破綻しない

出来事や風景の言葉って論理的破綻を来たさないから好きだ、と思っているところがありそう。たとえば昨日の日記は書いているうちに論理的整合性が欠けていって最後には投げ出す羽目になった。ときどきああいうことがある。書いているうちに矛盾、飛躍、破綻がにじんできてしまって困りはてる。整理して書き直すこともあるけれど諦めて破棄することも多い。直すのも諦めるのも時間がかかる。そういう問題がなくていいなと思う。出来事や風景を記録することのよさとしてそれをウリにするのは流石にどうかなとも思うけれど。

細かな粒度

ぼんやり見ていただけのものが急にくっきり綺麗に見える瞬間が来る。諦めずになにかを学んだりしているとそんな瞬間が時おり訪れる。視界が切り拓かれる。幸せな瞬間だし、えも言われぬ快楽もあるので、たいへん好きだ。その「気持ちよかった!」という気持ちを書き残したい欲も強い。それまでわかっていたはずのもの(わかっていたと思いこんでいたもの)がわかっておらず、しかしわかったぞ、といった話ではあるので、そのフィーリングやプロセスを伝えるのはたいてい難しいけれど。

いわゆる「頭ではなく心で理解した!」瞬間の話である。「知っているのとわかっているのは違うんだよ」なんて言われたりもするかな~。「頭でわかっていることと実際に動けることの違い」という切り分けかたも好きである。なんにせよ、文章を書くときに、この手の"気づき"の話に引き寄せられてしまう癖はある。新たに気づきたいだけでなく、気づけた事実と出来事そのものが、だいぶ好きだ。