世界は称賛に値する

日記を書きます

続編型の木曜日 6/15

昨日の続き(日記)

「昨日書いていたことの続きだけど~」といったふうに始まる日記がたぶんかなり好きなんだなと気づいた。文章における"続き"という意味では、例えば連載記事なんかで、「前回の続きになるけれど」みたいな文章を読ませてもらえることもあるが、少し印象が異なる。日記の中に置かれた"続き"のほうがより楽しみ(親しみ?)を感じている気がする。生活や人生における「点」(考えごと的な"点")が結びつく光景を見ることができたこと、そして、それを開示してもらえたことに対して、異様な歓びを感じている感じだ。おお、あの続きを考えてもらえていたんだ、しかも、それをわざわざ教えてもらえるんだ、という謎の歓びかな。なんというか、文章を書くためになんとなく考えてみたこと(その場限りの、一時しのぎの、辻褄合わせの、テキトーなことば)ではなくて、ほんとうに、そのひとの実感に寄り添ったことばだったんだな、というふうに感じられるところが嬉しいんじゃなかろうか、とは思った。たしかに、見えないところで考え続けていてくれたとするならば、それは、生活実感に沿ったものであるということの、ひとつの傍証にはなりうると思う。うそのないことばというか。少なからず本心というか。そういったふうに解釈して歓んでいそうではある。