世界は称賛に値する

日記を書きます

異邦人の金曜日 6/16

金曜日

普段とは異なる場所での仕事をおこなった。慣れないデスクで緊張した。新鮮ではあった。新参者は邪魔者だ、というような妄想をわりとすぐに抱きがちかなとは思う。同様の状況のときにそう想像するのが癖になっている。実際に自分が思ったことも、実際に誰かに言われことも、おそらくあったんだろうけど、そういった"実証"がないときであっても、そんなふうに考えるようになってしまった。文化や空気をつかむまでは、引っ込んでいたほうがよい、出しゃばらないほうがよい、と判断する癖と言ってもよいかな。まあ、それがうまく働く場面もあった。が、そうでもない場面もわりとある、と最近はわかるようになってきた。調整役としての役割が求められているか、改革者としての役割が求められているか、という違いがあったりするのだ。そしてまた、別の側面の話にはなるけれど、そういった言質が取れているわけでもないのに妄想的に相手の思惑を決めつけることの、よくなさ、も、わかるようになってきた。言質が取れていることだけを"在る"ものだと判断して過ごしていれば万事オーケー、ということでもなさそうなところが厄介ではあるけれど。

なんでもかんでも正解の行動なんてない。こういう言いかたをすれば正解、こういう気遣いをすれば正解、こういう遠慮をすれば正解、なんてことはない。言うなればケースバイケースだ。相手による。環境による。そういうとき、手がかりにできるのは「過去の類似事例の経験則」くらいだけれど、それをどれくらい信用してよいかも実はわからない。生きるにしたがって"経験則"にどれくらい寄りかかってよいのかわからなくなってくるところがかなりの罠だよな~、とは思っている。子どもの頃はここにある罠に気づかなかった。いろいろ経験して、学べば、なんとかなると思っていた。というのは言いすぎだけど、親切、気遣い、感じがよい、あたりをおおまかな指針にしておけば悪いことにはならないだろ、って思ってはいたかな。