必死の境地
集中して、トレーニングを重ね、頭をフル回転させて、試行錯誤を繰り返し、勇気を出して、極限まで尽力したうえで、なんとか辿り着ける境地、というものがあるのは、まあわかる。のんべんだらりとやっているのと、決死の覚悟でやっているのでは、たしかに結果が変わる。意識だって、行動だって、量も質も形まで変わるはずである。そして、そうすることでようやく手の届く範囲、というものが、当然あるだろう。
とはいえ、必死さや懸命さがどれくらい求められるものなのかは、よくわからない。求められて当然なのかもわからない。当然視したくないと思うところもけっこうあって、当然視しないために、のんべんだらりと決死の覚悟の「差異」を、できるだけ些細なものだと見積もろうとする癖も、正直ちょっとある。否定したいがために、たいした効果なんてないよね、って言いたがっているところがあると思う。
アオアシ14~17巻
まんが『アオアシ』の14巻~17巻を読んだ。ほんとうにおもしろいな。このまま全巻揃えたい。主人公の青井葦人が驚くくらい必死に「考えて」「動く」ことによって壁を乗りこえていくせいか、「突き詰めることで辿り着ける境地」を意識させられるところは、かなりある。まあでもスポーツまんがはだいたいそうかとも思うけど。そして、物語において、基本的には、好きな要素だ、って言ってよい。
必死・努力・競争といったものが、なんだかんだ好きだ。別に、誰も彼も必死にやるのが当然だと謳いたいわけではない。当然視したいとは思っていない。が、だからって否定までしたいわけでもない。いろんなものがいろんなふうに活かせる世界なのだから、必死・努力・競争というものたちだって、うまくその線上に乗せられるだろう、と、単に楽観している形である。スポーツまんがが見せてくれる勝負や熱意もまた、そんなふうに、明るく見ている。何事も、行きすぎることなく、ほどよく活かしたい。
冨樫慶司に課されるトレーニングに、物事を普段からとにかく"決めつけず"に見ろ、というものがあって、そこがとてもよかった。どのくらい先入観にとらわれているか、どれだけ細かいところを見ていないか、指摘されるシーンがとても素敵だった。ためにもなった。人間はたいてい物事をそのまま見ていない。無意識に勝手な期待もする。都合よく解釈する。認知バイアスからも逃れられない。あるがまま、受けとめて、フラットに判断する、というのは、ものすごく難しい。ここに関する難しさをあらためて感じている昨今なので、シンクロする形で、響き合うところがあった。