世界は称賛に値する

日記を書きます

早めに寝ようとした2023/4/1土

寝た

夜にオンラインで遊ぶお誘いをいただいた。明日の日曜にボードゲームで遊ぶお誘いも別件でいただいたりもした。こういうタイミングは重なりがちである(運よく重なったときのインパクトが強くて記憶に刻まれやすいだけではあるのだろうけど)。ほんの少しながら体調不良の気配があったので、断ることとなった。明日のボドゲ会に関して言えば、忙しさ的に遊びに行くのも難しかったとは思う。なんにせよ残念だった。いまは、翌朝の起きしなにこれを書いている。体調は回復したかな。寝不足と疲れで頭が回っていなかっただけという気はする。

四月ばか

エイプリルフールの日。特に嘘をつこうと考えたりはしないし、乗っかろうとした経験は少ない。ただ、ジョーク的に上手に嘘をついている人を見たら素敵だと思うし真似したいとは思いがちだ(思ったことがある)。逆に、下手な嘘で人にダメージを負わせているような光景を見たなら、やっぱり嘘はダメだよねとか言い出すに違いない。要するに、好きでも嫌いでもないし、とはいえ、好きでも嫌いでもある、って言える状態だと思う。そして、こういう「行事ごと」ってあんまり興味ないし、好きじゃないな~、なんてふうに考えてみることもあるけれど、結局、親しいひとたちとクリスマスパーティでもしてたらめちゃくちゃ楽しいねってなるし、なんというか、こういうの、好きとか嫌いとかいちいち言う意味ってあんまりないよな~とは考える。あと、「行事ごとは嫌いだ」って言ったら、クリスマスも正月も誕生日もバレンタインも、運動会も文化祭も、成人式も2分の1成人式も、なんかもかんでもまとめて嫌わないと、統一感がなくなり、整合性がなくなり、ダブルスタンダードだってことになるんだろうけど、クリスマスは興味ないけどバレンタインは大好き、って言ったって別によいわけで(その言いかただけなら整合性も統一感の問題の俎上にもそもそも載らせないで済むわけで)、抽象的なレイヤー、集合的なレイヤー、みたいなところで、好き嫌いを言っててもしょうがないんじゃないかなあ、というのも考えたりする。具体的、個別的に、言わないと、意味がないよ、って考えたりするのだ。が、具体的に、個別的に、言えば、ほんとうに"意味がある"のか?とも思わなくはない。