世界は称賛に値する

日記を書きます

1月12日プレーニング

満足

昨日の日記は満足感が強かった。謎だ。昨日の日記のなかに書いた「数日前のボードゲームの感想を書いた日記が不満だった」とは綺麗に対立するフィーリングではあった。ただ、そのふたつを比べてみたときに「昨日の日記のほうがよい出来だった」と感じるわけではない。むしろ昨日の日記のほうが出来は低かったんじゃないかとすら思えている。書き殴った日記だったからだ。修辞や論理に関する整理はまったくできていなかった。生活も思考も綯い交ぜだった。ほんとうに勝手気ままに書いていて、明らかな過不足があったと思う。アンバランスだった。ただ、楽しくは書いていた。勢いがあって深掘りもできていた。自由ではあった。思いつくままではあったけれど、非常に滑らかに「思いついて」いた感触はあった。そうして、なんとかバランスを取りながら積み上げていた。部分や部品を見る限りだといびつで、積みかたも無作法で、ねじれた形になっていたけれど、なんとか華麗に平衡は保っていて、それが自分視点では非常に楽しかったし美しかった。よいと思えた。一見ぐちゃぐちゃだけど総体としてはなんだか輝いているものに見える感じ。

アンバランスだったこと、生活と思考が綯い交ぜだったこと、無作法な手つきだったこと、ねじれていたこと、勢いがあったこと、自由だったこと、勝手気ままだったこと、楽しく書いていたこと、いろいろな要素が後押ししてくれたみたいに書いてみたけど、実際のところ、どれが核心だったのかは不明だ。ぜんぶ揃ったときにだけ発生してくれる気持ちなのかもしれない(生活、行動、実践の話を混ぜるのは、でも、よいな。あらためて好きな切り口だと感じる。個人的にはここが最も気分よくしてくれていた気がする。そう思いたい感じがある)。