世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年04月29日(月)日記の話をまたしている

着想・生活・作品

着想の日記と、生活の日記と、作品の日記は、それぞれで分けて、ぜんぶ書き残しておきたいな、という欲はずっとある。けれど時間は足りない。日によってどういう言葉が出てきやすいかも違うし。毎日三つ書き残す時間はない。結果として、混在させながら、うまく出てきてくれたものだけをここに書いているわけだが、種類別に整頓された文章の並びをまざまざと見せつけられると、素敵だ、そうしたい、とは思わされたりはする。まさに隣の芝生が青く見えて羨ましくなる形だ。見栄えのよさにすぐ釣られるというか。

昔は、ブログのカテゴリ設定を使って、多少はやりくりもしていたのだけど、いまはそれもやってないしな~。読書メーターなりブクログなりのサービスを活かして言葉の置き場所を区分けしておく手もなくはない。ぜんぶを置いておくところと、そこから切り出す形で、種類ごとの言葉を置いておくところに、分けるのは、まあアリだろう。

というような迷いがあった。同じことを何回迷うんだとも思わなくはない。が、こうして、日々、日記なり言葉なりを書いているのであれば、そこに関する振る舞いに目が向くのも当然ではあるか、とも思わされた。毎回視界に入ってくるなら、疑問だって浮かぶし、検討もしたくなる。あるいは気が散る。

なんかもう、こういった、「文章を書くという行動が、普段から視界に入ってきて、それに対して、ごちゃごちゃ考えるぜ」、っていう状況そのものが楽しい、趣味になっている、ってところがありそうだな~、とも気づかされた。日記やら文章やらが趣味っていうより、範囲設定でいえば、そのあたり一帯が趣味と化している気がする。なにが趣味なのって問われたときに答えにくいことこのうえないけども。