世界は称賛に値する

日記を書きます

1月3日ライジング

丁寧な言葉選び

丁寧な言葉選びのなかに精神を健全にする効果があると信じている。とはいえ慎重さにも限界がある。時間をどのくらいかけるか、つまり人生をどのくらい費やすか、という議論は当然ありうる。最終的にはバランスの問題になるだろう。でもとりあえず、よいものだと思っている。推奨したい気持ちが基本的にある。

精神の働き

精神の働きをしっかりつかむのは難しい。言葉で書いてもうまく書けるかあやしいのが常だ。暗中模索。勘違いも空振りもしがちである。複雑な挙動を丁寧に描き出してみせようと挑んだ結果、うまく解きほぐせないどころか、認識ミスに気づかぬまま描いてしまって、結果、わけのわからない文章にもなりがちだと思う。丁寧な言葉選びが大切だなんて言い張ってみせたところで、できていないことはかなりある。

萎縮

脳内のもやもやを言葉にしようとして掴み損ねる。日記が失敗した描写になる。そもそも困難な複雑性に挑んでいるのだからそれもまたアリ、くらいの認識でいてもよいかと思った。それくらい許容できる世界観で文章を書いていてもよい(世界観というか日記観か)。精神をつかむアクションに対して、完璧な描写しか許さない、成功しないと駄目、っていう態度で接するの、さすがに無茶振りだろう。萎縮させる必要はない。丁寧な言葉選びと同じくらい、自分の精神を描こうと挑むことのなかにも、健全さがひそんでいるとは感じている。