世界は称賛に値する

日記を書きます

1月1日エンディング

年末年始

年明けと同時に新型コロナウイルス陽性の療養期間が終わった。年末はほとんど部屋に籠もっていた形である。年末年始をふくめ特定の日時を特別視しないモードも好きではあるので(特別視するモードも最近は好きだけど)、特別視しないモードで見つめるのであれば、あえて哀しむようなことでもない。いつであれ人生の一箇所という意味では同じだ。

特別視しないモード、つまり「解釈から意味を剥ぎ取ってフラットに見ようとするモード」、適宜切り替える癖は昔からついている。勝手気ままに都合よく使い分けるのが非常に有効すぎて、しかも副作用もあんまりなさそうと思っているため、強い違和や忌避もないままモードチェンジさせてしまう癖が出来ている。ほんとうにそれでいいのかなあとも思ったけれど、意識的にやることを禁止したとしても、なんだかんだ自然にそうなってしまっていることはある。どういう意味をどれくらい読み取るかなんて毎回違う。気分しだいなはずである。一律にルールを決めて「ぼくは今後の人生でこういう解釈の型や律や法しか使いません」と宣言するのも適切ではない(それがベストというわけではない)よなあと思った。