▼▼文章における述語の意味は文脈というか理由でほんとうに変わるなあ、なんて改めて考えていた。理由○○なので××したのです、という文章があるとして、文中の○○が変わるだけで××の印象はあっさりはっきり変わる。おおきなものではないにせよ、簡単に明瞭に、違いは出てくる。同じものだと認識しちゃ駄目なくらいは変わる、って思う。
▼▼文章1・好きだからキレました ←→ 文章2・嫌いだからキレました。
▼▼行為「キレる」単体に対する印象を脳内に浮かべてみることはまずできる。なので浮かべてみる。で、文章1の「キレました」や文章2の「キレました」と比較してみる。
▼▼意外と明確に違うよなー、というのが現時点での理解なのであった。同じ脈絡のもとで語られた「理由」が、述語が見せる印象──意味を、少しスライドさせて、なんていうか、彩りを加えてくれるね、って感じかな。同じものとしては語れなくなって、同じような意見をぶつけられなくなる。怒ることは推奨できなくてもまあ実は理由による、の背後関係の話だ。▼▼理由が誰かを輝かせたり貶めたりするので整理しようと志してみた。
▼▼起床時刻は午前11時。勤務開始は午後2時。酔いが残っている。眠い。唸りそう。
読んですごい!と思えたので記憶も記録もしておきたいための自分ニュースです。
→ 「要は解釈のプロセスの差だよ 図形は見たままに解釈できるけど 音はそれのみで解釈しづらい (だから音楽理論などの体系を用いて解釈できる形にまで持っていく必要がある)」