▼▼人間が100人いて99人が幸せだと思えるような要素が目の前にあったらやっぱり推してしまうに違いないぜ、って思う。では100人中98人ならどう変わる? あるいは100人中80人なら? 50人? 49人の段階では? なんていうことの心理的な境界線が、優しさの問題、とどう関わるかなー? というか、関わりうるのか?
▼▼適合せぬ一人を、絶対に見逃さない、は言いすぎにせよ、思慮も考慮も、少しでもしやすくなるような精神構造が、あるかなあ、あるといいなあ、っていうのはテーマだ。探していこう、ってのは夢だ。夢ではなく希望、と呼べるほどの可能性は開拓できていないけれど、錯覚や幻想から始めるんでもいいから、日々の漸近くらいはしておこうよ、って思う。傲慢でも過信でもまあよい。見切るよりはいいんじゃないか、が開始点だ。
▼▼起床時刻は午前7時。勤務開始は午後9時。慎重と手探りと丁寧だけで満足するなよな、っと。判断はストックっぽいけど判断し続けることでフローにできる、みたいなね。
昨日の出逢いのようなもの。未来の自分におすすめの独りニュースのようなもの。
→ 「熱力学第二法則によって、全てのものが価値の無い状態つまり死を迎える。それに逆らって、レイヤーを重ねつつ複雑な相関図を作っていくのが生きるという方向だ」