▼▼知識と経験による世界観の格差、のことを改めて考えていた。相手と自分では意外と見ている世界が違うのだ、ってことを考える時に、知識と経験の違いによるものが非常におおきい、という前提で「違い」を想像してみると、的確そうだ、とか最近は思える。
▼▼知識と経験が少なかった過去の自分と、知識と経験が多少は増した現在の自分を、比較してみて、知識と経験の変化により──諸々知ったことで、思えることが変わった、と実感できる「判断の違いどころ」を、取り出してみて、で、相手と自分の間にも類似のものがあるのでは、と、あてはめて関係性や推測の基準を捉え直してみると、わりと的確な判断になりそうだな、って思えるのだ。▼▼世界観の違いを情報量に置きたがっている。
▼▼起床時刻は午前7時半。勤務開始は午後2時。惚けているところがあるなー。
記録インデックスと記憶インデックス。昨日読んで感銘を受けたニュースも兼ねてです。
→ 「最近、お茶を淹れるのが、楽しい。淹れることそのものっていうよりも、その、時間が。うまくいえないんだけれど、時間の流れが違う感じがする。おもしろい」
→ 「現代アートの場合、作品の評価や値段は「どのような文脈をつくるか」ということに深く関係しています。もちろん作品の表現が一番重要ですが、もう一つは作品のプレゼンテーションの仕方が問題になってきます」
→ 「こういった楽しみは他の趣味でも、他作家の作品でもないのは、我ながら不思議だ」
→ 「男女の関係は、おたがいがそれぞれに成長し、前進することによってしか安定しないのかもしれない。しかしそのバランスはとても危うく、いつ崩れてしまうかもわからないようなものだ」