攻撃される選択肢
「できないことは情けないことだ」「いまの自分はここができていないため、情けない」とか感じてしまうこと自体が、そもそも自分の中にある"見下し"の揺り戻しなのだ、っていう見解は、一理ある。弱そう、脆そう、使えない、みたいなものを、下に見て、ときには距離を置き、排しさえしようとする目線が、自分の中にもやっぱりなくはない。
だから、その攻撃の射程内に自分まで入ってきて、喰らうことがありうる。想像する世界の選択肢に入ってくる。
そういうことを言ってくるであろう可能性を考慮してしまう。そういうことを言う人がいるはずだと想定してしまう。そういう意見にも妥当な面があるのだと考えてしまう。そういう雰囲気を出されてもしかたないと諦めてしまう。結果として、そういったふうに思われることを、無意識に、一定、肯定してしまっているんだな、と考えた。