勿体ない精神
よいものを持ったり作ったりしたとき、「もったいないから、いざというときのために取っておこう」「準備万端の機会を待って、最も効果がありそうなときに見せつけよう」みたいなことを考えがちだし、結果として、宝の持ち腐れにもなりがちだ。後生大事にとっておいた結果、そのまま、古びたり忘れ去られたりする。いざというときなんてそうそう来ない。
しかも、もったいないお宝を、後ろ手に隠し持ったままだと、小手先で作れるような小細工を見せつけ続けるような振る舞いも、取ってしまいがちなんだよなと思う。本気の隠し球があるという油断が、ほどほどの出来を余計に許し始めるというか。油断が増す。
そういうとき、結果的には、そういった小手先・小細工の振る舞いが、自分の本領になっていってしまうんだぞ、というようなことを考えていた。ひとから見てもそれが本領に見えるし、自己認知やおのれの限界値もそれに染められていく。
さらにいえば、隠し持ったお宝が、ほんとうに輝きを放つほどのものだったかもどうかも、保証されない怖さがあるはずだよな、とも思った。実はがらくただったかもしれないものを、後生大事にしていたケースも、とうぜん起こりうる。そこに気づけない怖ろしさは常にある。
安心感重視
とはいえ、後ろ手に隠し球を隠し持って、手軽にできる範囲のことで、お茶を濁していくスタンス、安心は安心なんだよな~、とは思った。切り札を隠し持っている安心感はものすごくある。そういう余裕があせりを排してくれて、技能を遂行するための堅実な土台になってくれることだってあるだろう。ほんとうに切り札にまでなるかはともかく、いざというときのための備えがあるのは、それはそれで悪くはない。前述した、ふだんの評定に結局そこは含まれないことになるリスクと、ほんとうに非常用品として有効なのかが検証されていない怖さは、ちゃんと認知しといてね、とは思うけれど。