世界は称賛に値する

日記を書きます

2025年8月11日(月)かっこよさも見直す

あらためて格好良さモチベーション

格好つけて、ミスると、なおさら痛い。調子づいていたぶん傷が深まる。ときには外聞的にもイタい。そうして臆病になっていく。痛さ苦しさ恥ずかしさがフラッシュバックしてきて、身が縮こまる。シンプルにこういった構造に絡めとらえているフシがあるな~、って思った。そうして萎縮し始めたフシもある。以前より、少なからず、勇ましさが失われた。それは感じる。調子に乗らなくなった。しぼんだ。謙虚といえば聞こえはいい。でも、いろいろ、成功率は下がった。逃げ腰じゃうまくいかないことは多い。

攻めの姿勢が要るのかな、とはあらためて考えていた。そして、攻めの姿勢を取り戻すためには(そして維持していくためには)、「格好良い」「美しい」「ただただ惹かれる」みたいなところに、きちんと軸足を置いていくしかないんじゃないか、ってことも考えてはみた。なんとなく、調子に乗れたほうが、よい気がしてきたのだった。しぼんでいる場合じゃない気はしている。攻めっ気を与えてくれるものを大事にしていくやりかたが、そういったことばを自然に抱きしめていくスタンスが、必要なんじゃないか、って思った。

どういう言葉、どういう状態、どういう空気が、実際「性に合う」のか、そこは人によるところなのだと思う。けれどともあれ、少なくとも以前の自分は、そこで、けっこう、頑張れていたんじゃないかと思う。そんな記憶と感触はある。けど、さいきんは、見失っていた。間違いなく手のひらからこぼれ落ちていた。取り戻せたらよさそうな雰囲気は、たしかにある。だから、あらためて見据え直してみたほうがよさそうには見える。

一部、せめて、かっこつけたい

全体的に格好よく思えていなくても、いい。ろくでもない空間のなかで下衆な見解に従わなければならない状況だって当然あるだろう。だから、ぜんぶがぜんぶ、格好よくなくたってかまわない。けれど、だからこそ、手の届く範囲内で、自分なりに、格好よくあろうとすることは、大事なのかな、って思った。限定的に、格好つけたらいい。そうして、攻め気もやる気も出し直したい。経験上、そのほうが、必死にもなれるし。