世界は称賛に値する

日記を書きます

2026年02月28日(土)はずればっかりじゃん(じゃない)

裾野が広いと見下す

身近で気安い。きびしい裁定者がいるわけでもなく、ぼんやりしたあいまいな説明でも、そうそうふるい落とされることはない。難しく考えなくても、技巧がなくても、手を出しやすい。結果的に、裾野が広がる。とはいえ、下層が大きく広がっているぶん、上層にある「洗練」や「醸造」にも遭遇しづらかったりはする。

ライトノベルやビジネス書といったジャンルに、一定、そんなような印象をいだいているところはあって、だから、そんな中で「当たり」に巡り逢ったときに、過剰に喜んでしまっているところがあるかな、と思った。当選確率がきわめて低そうな宝くじに当たった喜びをいだいていることがたぶんなくはない。

ハードルの低さ、と、人の多さ(≒稼ぎやすいか)、というふたつバロメータが、そのジャンルにおける「はずれ」の比率に大きな影響をあたえていそうな気はしている。いっちょ噛みする人が増えれば増えるほど、はずれ作品が増えて、濃度は薄まる。ただしそのぶん、裾野も広がってくれる、という感じ。

とはいえ、安易に、「このジャンルってはずればっかりだから」って言えるわけでもないとは思う。どんな掃き溜めでも図抜けた当たりは出てくる。なんだって許されるような(というかそんなこまかいこと誰も気にしないような)荒んだスラム街になればなるほど、実験的で先鋭的なものが出やすくなってきて、誰かに刺さりやすくもなってくる。そういうときに「ここってはずればっかりだ」なんて言ってたら顰蹙ものだろう。

それに、「絶対はずれじゃん」とか感じていても、結局は好みの問題なことも多いからな~。「はずれ」なんて判断、基本的にはあんま当てにならない。

結果として、"ジャンル"に対してコメントがしづらくなっているな、とは思った。コメントというか、ジャンルが素晴らしいかろくでもないかの私見を語りづらい。見当違いのことも言っちゃいそうだし。けど、自分なりの今の認知や判断が、そこにあるのは間違いないわけだから、そこから目を背けていてもしょうがないな、って気もする。後ろめたそうな顔でそれを隠したところで、たいして意味はなさそうな気もする。

とはいえ、明確に一回見下し始めてしまうと、その勢いに引っ張られて、その後の判断が「見下し」前提になっていっちゃう怖れはあるので、それはしたくない、とも思う。そういう意味では、自分に対して、安易な「ジャンル見下し」を許す気はない。はずれと見做したいなら慎重に。乱暴なやつはあんまり許さんよ、とはなった。