先端を甘くは見ない
どれだけ人類が鋭い知見を集結させていったところで、ゴールになんて辿り着くわけがない。最終的な正解なんて、完全な解答なんて、たぶん出せいない。いつだって道半ばだろう。寄りかかるには脆すぎる。だから、素朴に受け容れるのはあやうい。気がつくと、あっさり信用しそうになっている瞬間があるので、一定のところで、制止するようにはしている。信じこみすぎないよう警戒はしたい。
ふだん、業務に関する知見や知識をについて学んでいくなかで、たとえばリーダーシップとは、マネジメントとは、みたいな話はいくらでも見聞きするし、そんなにも鋭いところまで切り込めるんだ、と驚かされる最新の知見に出くわす機会なんかもなくはないのだけど、それでもたぶん、それは、ゴールにたどりついた「正解」ではない。いま時点でどこまで最新であっても、それは、ただ、先端というだけであって、頂点ではないんだよな、とは思う。あくまで歴史の先端であって頂点の時代ではない。
例示したような、最新鋭のリーダーシップ論やマネジメント論に感心させられて、ともすれば信奉に似た思いすら抱いて、そういうふうにしなきゃ、そう説明していかなきゃ、みんなの「当然」がそこに揃うようにチューニングしていかねば、みたいに考え、それが極めて正しいものであるかのように振る舞おうとしてしまうシーンが、やっぱり、たしかにある。けれど、千年後に同じ「解」が語られているかというと、たぶん、そんなことはない。どれだけ優れた見解でも、暫定に過ぎない。
とはいえ、だからといって、半端だからとそれを舐めくさって、投げ棄て、経験則と気分だけでモノを語ってればよいわけでもないんだよな~、とも思う。完璧じゃない、って判定すると、ともすればそれくらいのことをし始めかねないので、それも困る。むしろ配慮しないといけないのはそのあたりになるんだろうなとも思う。せっかく、いま時点、一定の知の集積が得られているというのに、それを無駄にするのは、違うじゃん、って気もする。頂点じゃないからって先端を甘く見てはならないんだろう、とは強く思うしだいだ。