世界は称賛に値する

日記を書きます

2026年03月04日(水)あったほうがよいのか

基本あったほうがよいなら、あったほうがよい

あったほうがよいはず、と素直に思えるようなものであっても、それが「ある」ことが要因となって発生するかもしれない副作用が(たとえば偏りや疲れや腐りが)、ときどき、悪いほうに働くことだってあって、そういう「副産物的な悪」ばかり目立つところに置かれると、それを眺められる位置に立たされて、「あったほうがいい」とは言いづらくなる。断言には躊躇させられる。

こういう構造のシチュエーションが、めっちゃあるはずなのだけど、その場に立つと、そんな都合よく、上手に気づけないことも多くて、「うーん、そうそう、悪い場合もあるから、ケースバイケースだね」とか言っちゃっていることがある。善悪5:5みたいなところで話し始めのスタンスを譲っちゃっていることがある。ので、ふだんからこの手の"流され"の怖ろしさと良くなさは意識できるようにしておきたい、とは思った。その手のことを狙う陰険な仕草にもまどわされないようにしたい。

増殖する毒

長い目で見ると、最初は副作用や副産物であったはずの些細な短所が、じわじわ増殖・侵食していって、メインストリームの長所をいずれ凌駕してくることがあったりもするんだよな~、とは思う。

一定の本体とわずかな地点から増え続ける毒、みたいな関係性もまた、ときにはふつうに見られる。こう考えちゃうと、けっきょくは行き詰まって、途方に暮れるパターンもまあ、あるわけだけど。

選びきれず

長文を書いていったすえに、結局はスタート地点に戻らされたり、行きつ戻りつ選択肢を選びきれないまま半端な状態で終わらされたり、なんの時間だったんだ?って思わされることも少なくはないが、それを安易に無駄とか思いはじめたら、それこそ、愚かの極みっていう気もしなくはないな。