世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年06月07日(金)この話題はこれで最後くらいにしておきたい

あわただしいので仕事の話でお茶を濁していた

お子さまのお風呂も寝かしつけも、だいぶあわただしい。比較的おとなしい性格をしている印象もなくはなく、けっこう平和的なのかなとも思わなくはないが、しかし、せわしないのはたしかだ。バタバタして、あせっている。まとまった時間も取りづらい。日記を書く時間も限られる。結果として、日記には、直近の(思い出しやすい)「職場」「業務」「上司」の話を書くことが増えていた。目が向きやすかったし、手を出しやすかった。ただそのぶん、暗い話が増えてしまった。昨今の情勢のせいではあるものの、愚痴めいた切り口が、変に多くなっていた。けど、これ、別に望んではいないんだよな~。

言語化によって精神が落ち着くところがあるため、無意識に頼ってしまった、というのはたぶんある。今日も、ねめつけるようなまなざしで、黙している振る舞いが多かったとは思うが、しかたないと思えるところはあった。じゃないと耐えきれないなあって判断した。最も落ち着くスタンスだった。今後も段階的に様子をうかがっていくしかないんだろう。敵愾心で落ち着くならまあそれはそれだよね、って思う。

最近はとりあえず、勉強時間を確保したい、っていうのはあるのかな。その影響はあったと思う。時間確保のために、手を伸ばしやすい話題に触れて、時間の短縮を狙っていた、とは言える。結果、「仕事」の話ばっかりになった次第だ。うーん、しかし、もうちょっと細かいコントロールは利かないもんかねえ、とは思った。

いらつく気持ちを分解していくの、なんだかんだ楽しいし、記録としての稀少性も感じなくはないのだが、流石に、限度がある。こればっかりになるのは困る。ほかのことだって書きたい。書けばいいじゃんとも当然思うわけだけど、やっぱり、過剰なモヤモヤが胸中に渦巻いていると、どうしても、触れずにはいられないというか。我慢しきれなかった。変に耐え忍ぼうとしたせいで、余計にメンタルが荒れたり崩れたりしてもあれだし……。

決意を翻意

愚痴ばっかり書くことになる状況も流石に嫌になってきた。話題を変えていこう、視線や視界をコントロールして見るものを別のものにしていこう、とは決意した。「しかし精神のコントロールがどうしても利かなくて」とかなんとか、正当化のための言葉を吐いて、こういおう自身の「決意」を、ぜんぜん尊重しないところが、正直ある。翻意する(翻意させる)習慣が出来上がっていると思う。これってたぶんよくない。自分と自分のあいだで交わした約束が、自分に守られない、という哀しみは、かなりよくないんじゃなかろうか。絶望めいているとすら思う。