世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年07月01日(月)同じくらい読解してほしい

実況プレイのシンクロ率

実況プレイ動画を見ながら、もっと真剣にその状況における感情を想像してみてほしい、とか思っていることは、けっこうある。ほんとうにそのシチュエーションに放りこまれたら、それくらいの怖れや怒りや哀しみがあって当然じゃん、と感じることがある。切実な思いが、丁寧に"なぞられていない"のを見て、もどかしく思ったりする。基本的には、渾身の力をこめて「その気持ちを想像する」ほうに振ってみてほしい、みたいな欲があるかな。入念な準備のもとで限界まで感情移入してみせる姿のほうが好きというか。

たとえばファイナルファンタジー10の実況プレイで、召喚士たちが、あくまで一時的なものに過ぎない平穏(ナギ節)のために、「シン」という災害的生物を倒そうと必死になっている姿を見て、「そこまで頑張らなくたっていいじゃん」「あくまで一時的な平穏が訪れるだけなのに、なぜそんなに頑張るのさ」みたいなコメントがなされることがあるのだけど、こちらの世界でいえば、いつどこにあらわれるかもわからず、あらわれたらその地を根こそぎにしていく巨大台風的な災害が、意志さえ見せながら、常に消えることなく、かならずやってくる、とでも言うような状態なわけで、そりゃ懸命にも必死にもなるだろ、って思う。あんなものが身近にずっといることをほんとうに想像して、その怖さ、絶望を、ちゃんと考えて、言ってんの?と思う。大切な誰かのために、たとえ一時的な平穏にすぎなくても、犠牲になる可能性があるにしても、平和をもたらしたいと思う覚悟くらい、持つひとがいて当然じゃん、とも思う。

切実すぎる、真剣すぎる、重すぎる、いやそこまで思いこまなくてよいでしょ、なんてふうに、覚悟や決意が軽く見られていることがあって、そういうシーンに出くわしたときに、もっとしっかり汲み取ってほしい!と思いがちではあるのであった。ものすごく詳細に想像したらその気持ちにもうちょっとくらいは近づけるんじゃないの?って思ったりする。デジタルゲームの実況プレイ動画はよく視聴する。が、このあたりの相性の合う合わない問題は、かなりある。気持ちよく(同じくらいのシンクロ率で)魅せてくれるプレイヤーに出逢うと嬉しい。自分の読解力よりさらに一段深くもぐってくれるなら理想的だ。