世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年06月27日(木)池袋の散策

池袋

池袋をすこし散策した。気分転換のために散歩でもしようかなという心持ちだった。午前中で掃除・洗濯を済ませ、「ひさしぶりの贅沢」くらいの心持ちで、なんとなくグリーン車を使って、池袋に向かった。グリーン車はほとんど使ったことがない。特にSuicaを使うようになってからの(便利になったらしい)手続きにはまったく馴染みがなかった。使いかたを知っておきたいという狙いもあった。ささやかな旅情感を味わえて、けっこうよかった。池袋に出たあとは、旭屋書店、ジュンク堂をうろついた。本屋巡りはとてもよい。それはほんとうにずっと変わらないな。ボードゲームで遊びたい欲の高まりを感じてイエローサブマリンにも寄った。最後はラーメンを食べて帰った。

散歩しながらいろいろと思索はした。とはいえ、複雑な面持ちでは歩いていたとは思う。主に仕事・職場・上司にかかわる不安も不快もいだいていた。最近こんなのばっかりだな。このあたりをふくめた心境をわかりやすく描き出すのは難しい。池袋が「思い出の地」すぎるせいで、エモーショナルというかノスタルジックというかセンチメンタリズムというか、そういった懐旧的な思いが強まるところもありつつ、同時に、近況に対する見通し、決意、考えかたの転換などについても、思案した。ぼくの、あるいは、世の、幸福についても、あらためて見直したくはなった。ぜんぶがつながっているとも、もちろん言える。ぜんぶが地続きだからこそ逆に説明や実証するのが難しいとも思う。その地続きの「ライン」上において、いまどこに立っているか、が、結局は気分や機嫌で変わってきたりするから、そこを(いまがどういう精神的ポイントなのかを)見定めるのもまた、困難だし。

アトリエ日記

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前に立ち寄った美術館で『アトリエ日記』シリーズ(野見山暁治)のことを知って、惹かれた。買えばよかったとあとになって悔やんだ。近作の最終巻があったので目を通した。ぽつりぽつりと残された言葉は、老いや死の色合いの濃いもので、馴染みのない鋭さもふくまれていて、感じるところが大きかった。ほんとうに"遠ざかっていく"ときの言葉が描かれていると感じた。もっと、世界を、要するに「身のまわり」のもろもろを"しっかり憶えているうちに"愛したほうがよいのではないか、と思わされるところもあった。お別れが近づいたときに(こそ)感じられるような、愛おしさ、離れがたさは、もちろんある。都合よくない?と言えるような問題意識もあるとは思う(別れが決まってから愛するくらいなら最初から愛を伝えておこうぜとはたとえば思う)。しかしだからと言って、お別れの段になって、あらためて大切さに気づくような挙動を、否定できるわけでもない。そういう気持ちの動きだってあってよい。大切だし素敵だとも思う。

近年の仕事関連に関する不満、不快、不安に対しても、こういった「愛おしさ」を転用することが、可能なのかな、とはちょっと考えた。不可能なルートではおそらくない。が、だからと言ってそうしたいかというと、難しい。もちろん、検討の余地はあるけど、うーん、みたいな感じで、ぐるぐると考える羽目にはなった。一緒くたにして愛せるものなら愛したい気はする。趣味や生き様が合わないなら合わないなりの愛しかたもある気もする。とはいえ、そうしたいかは、実際の生活、コミュニケーション、触れ合い、等々によって、結局は決まる、というか、決めたくなる。ここの折り合いの話にはなるんだろうけどなあ、といったこともぐるぐると考えていた。

最期のアトリエ日記