世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年05月29日(水)判断が難しくても避けてみるしかない

事前に躱す

生きていれば日によってはダメージも受ける。それはしょうがない。諦めたい。というか、多少は受け容れたい。筋肉への負荷、および、断裂から得られる超回復のように、痛めつけられることによって得られる伸びしろというのもなくはないようだし、悠々自適な生活ばっかり求めているわけにもいかないんだろう。緩すぎて身体を壊しかねないくらいの「ラクさ」だってあるとは聞いた。「椅子」は人類には快適すぎる(椅子に座る時間が増えすぎるとむしろ人間は壊れる)、といった研究すらあると最近聞いて、なるほど、と思った。

とはいえ、喰らっているダメージが致命的なレベルに達している可能性もまた、ある。耐えきれないくらいの傷をいつの間にか負わされているのかもしれない。予想以上に深いところまで傷つけられているかもしれない。なら、それが、致命傷であることだってあるだろう。たとえ、まわりから見たときに、「フツー」に見えるものだったとしても、それが致命傷になりかねないかどうかは、別の話だ。ぼくの防御を貫きうるか、誰にもわからない。ぼくにしかわからない(というか、厳密には、ぼくにだってわからない。しかし、わからないなりに、ぼくが判断するしかない)。極めて有益な指摘であっても、ピントのズレを正してくれるツッコミであっても、成長の糧になりうる箴言であったとしても、切り捨てるときは切り捨てるしかない。様子をうかがっているうちにやられるわけにはいかない。