世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年05月27日(月)脳裡にこびりついた嫌味を清掃するくらいのノリ

嫌味

嫌味みたいな言い回しを耳にして苛立った日ではあった。とはいえ、変に気にしていてもしょうがあるまい。どうでもよいと切り捨てられるならそうしたい。とはいえ、書くに値しないとまでは思っていない。記録しておけば役に立つこともあるだろう。機微を読み取って学ぶべき点だってあると思う。ただ、職場、上司、業務にまつわる不満の話は、正直、難しい。重心が安定しない、とはずっと感じている。基準や水準が不明なためだ。判定者が多いわけでもなく、情報も少ない。当てになる「測りかた」がないせいで、釣り合いを見定めるのがほんとうに難しい。

たとえば今日見た出来事に対して、ぼくは、「度が過ぎてる」「流石にそこまで言われるいわれはねーだろ」と感じたわけだけど、しかし、このあたりの判断が妥当なものだったのかどうか、確定はできない。普通、一般、常識の範囲内であって、気にしているぼくが、極端に脆弱なだけ、過敏なだけ、という可能性はある。それくらいは言われてもしかたのないミスだったのかもしれない(まあ、今日見かけた嫌味は、まだなにも起きていない、事前の忠告のような形だったため、現段階で口にするには不適当すぎるだろ、とは感じたが)。

これまでも同じような振る舞いを何度か見かけている。それを観測していたまわりのひとたちが、いつもほんとうに酷い振る舞いをするなあ、ときどきあれをやられているひとがいるわけだけど見ててツラいよ、というふうに話しているのを聞いたこともあるので、統計をとるような形で見れば、酷い、と判断してよさそうだ、って思えるところもあるものの、実際はそれもどれくらい当てになるのか、わからない。

だからこそ、どこかの段階でぼくが決断するしかないんだろう、と思ってはいる。誰も決めてくれないなら、自分で決めるしかない。根拠にできるものがないのなら、主観を当てにするしかない。適切であろうが勘違いであろうが、待っていてもしょうがない。責任をもって決めるしかない。判断を保留し、後回しにするのも、限度がある。致命的なダメージを喰らってからでは遅い。

なんだかんだ、ぼく側の不備だってなくはなかったので、これまでは、それなりには従順に耳を傾けて、頷いていたところもあったのだけど、今日の嫌味に関しては、ここまでいくと流石にやりすぎ、って感じられた。指導者や上司として意味のある(効果的な)言い回しでもないじゃんと判断できた。状況をよくしていこう、皆の成果に繋げていこう、といった意志や気概を背景にした出てきたことばではなく、単なる人格や感情の問題から出てきた「刹那的なことば」に見えた。信頼に値しないと素朴に感じた。こういうところこそ、ぼくが、判定しなければならないところ、判断しなければ先に進まないところ、なんだろう、って考えていた。誰かが決めてくれるのをただじっと待っているわけにもいかない分岐点である。