世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年07月02日(火)どこまでを当然とするか(したいか)

当然じゃん

趣味の領域の人物や事物について、言い切りで話すか、説明も付加しつつ話すかで、世界観のようなものが変わるな、とは思う。流れる空気もけっこう変わる。知ってて当然じゃん、という勢いを出せるかどうかの水準が、世界観を定めるもののひとつなんだろう、とは感じているのだった。世界観の根底にある直観の顕在化、というかな。世界を素直に見たときの起点または基点。そして、こういうところをひとと見比べるのがおもしろいんだよな、と考えたりもする。尋ねてみたい話題のひとつだ。

「ファイナルファンタジーというテレビゲームのRPGがあって、このまえ、それで遊んだんだけど~」と書くか、「このまえファイナルファンタジーで遊んだんだけど~」と書くかで、発言者のスタンスが変わるし、なんというか、その言葉によって展開される世界の形さえ変わるのだろうと思っていたりもする。結果として、受け手との相性もまた、変わる。ときにはその違いこそが、運命とか奇跡とかに通ずるような、大切な違いなんだとも思う。