世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年02月24日(土)トラブルに見舞われた日

トラブル対応

トラブル対応が起こったので祝日だが出社した。だいぶ興の削がれるタイミングではあった。とはいえしかたなし。しかたなさすぎたため気持ちも多少は前向きだった。状況を確認し、最終的なチェックをおこなった。報告後、チェック漏れの指摘があった。理想的な完成形と起こりうるリスクをしっかり思い浮かべて、それに対する"隙のないチェックポイント"を構築する、という業務が、最近はうまくいっていない。慣れない業務に携わるようになったため(いまだ全体像が見えてない)というのもあると思うが、性格的なものも、習慣的なものも、あるとは思う。あと、ただよう威圧に押し潰されて萎縮し思考や知覚が鈍っているところも、まあきっと、なくはないかな(自己正当化っぽくもなりそうなので、もしかしたら、とはしておく)。

帰り際、あらためて、真剣な面持ちで、たとえば今日おこなえればよかった理想的な(抜けのない)「チェックポイント」について考え直していたら、思ったより出来のよい「チェックポイント」を脳内にいくつか思い描くことができて、おのれの抱えている手抜き精神に気づかされる場面があった。真面目に考えたらこれだけ思いつくことができたのに、思いついていなかったってことは、真面目に考えていなかったんだろう。と、サボりをあらためて認識させられた。「なんでこんなミスに気づかないの?」「いや頑張ってはいるんですけど」みたいな脳内応答シミュレーションをしていることもあったのだけど、「ウソじゃん」「頑張ってないところもあるじゃん」って自分にツッコまれた気になった。

油断も甘えも真面目にやっていないところもたしかにある。だからまあ、改善せよ、次からは直せ、といった指摘がおこなわれるのは、しょうがないというか、妥当だ。だから指摘に不満はない。ただ、あんな嫌な空気で言う必要があるんかなとは考える今日この頃だ。叱責や糾弾しかないように見えるくらいだ。指導においてはあくまで「認識させかた」や「馴致させかた」に主眼を置くべきなのであって、言いかたのキツさが真髄ってわけじゃないだろとは考えてしまう。こういうところばっかりフォーカスしてくる職場環境なんだよな~といまは感じる。