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日記を書きます

2024年02月25日(日)本質・本格・本物の日なんてない日

本質と本格

「本質」ということばにはけっこう警戒心がある。勘違いや幻想だと言われても違和感がないくらいには、ほんとうにそんなものあるのか?軽々しくあると言ってよいようなものではないのでは?といった疑いの気持ちがある。示そうとしているものの境界線の甘さや雑さを感じる。結果、距離を取ろうと思いがちだ。進んでは使わないようにしている。

「本格」という表現があるが、このことばって「本質」とだいぶ似たところ、似た構造を指しているなと思った。にもかかわらず、「本格」のほうはあんまり警戒せず使ってしまっていることにも気がついた。たとえば、「本格ミステリ」という呼びかたって、「本質ミステリ」という呼びかた(があるとしたらだけど)と、だいぶ類似した意味を持つんじゃないかと思う。でもたぶん、ぼくの中では、同じような使いかたをしていない。というか警戒心がなぜか薄い。なぜだか「本格ミステリ」のほうは純朴に使ってしまっていそうである。おんなじような"絶対的な核心"があるかのように振る舞うことばなのにね、って思った。

あと、もし「本物的」って言葉があるなら、これも、似た位置、似た意味、にあるんだろうなと感じた。