世界は称賛に値する

日記を書きます

7/3(月) 基礎の記述を意識する

月曜日

初めてのひとが来られたので基礎的な説明をした。こういう説明のときに淡々と話す癖がある。話すことに集中しすぎてしまうと言ってよいのかな。少なくとも聴く側への配慮が不足しているのは間違いない。相手を見ず話を進めてしまう形だ。減り張りをつけたほうがよいという指摘も受けがちである。今回も同様の指摘があった。省みたい。

とは思うのだけど、反省して次に活かす、改善する、やりかたを変える、ということが苦手なのではないかと最近考えている。そういった状態を自覚させられる機会が多い。ダメなところを認識し、そこのやりかたを変えて、次に、違う方法を試す、ということがうまくできていない。というか、そもそも、うまく認識できていない気がする。改善について「PDCAサイクル」ってことばを飽きるほど聞いてきているのに、それが腑に落ちたことってほとんどないし、理解できているかもあやしい、というところから連想した。ともすれば、「やりかた」「方法」という概念がつかめてないことさえあるかも。

ある現象の中の、ある行動の中の、どのへんが「やりかた」や「方法」なのか、ずっとわかっているつもりで振る舞ってきたのだけれど、実は、無自覚のまま、わかったフリをしていただけなのかもしれない、と思ったのだった。「方法」……?みたいな疑問は、いちおう、昔からかかえていた気もするし。言語ゲーム的に"どこでそのことばを使えば誤りにならないか"はたぶんつかめていたけれど、指さして「これが方法ですよね~」とは示せない脳内であった可能性だ。