世界は称賛に値する

日記を書きます

2023年11月21日(火)隆盛を検める

哲学のノリ

哲学の精神が好きだなとは思っている。未開拓・未整理のところがあったらそれを剥き出しにして語れないか試してみるノリが好きだ。未開拓と未整理を新たな角度からいつでも見つけてこようとするいきおいもよい。極限まで「共通」のところを見出そうとするところも好きである。宇宙共通、世界共通、だけじゃなく、人類共通、歴史共通、社会共通、文化圏共通、さらには物理、心理、論理、倫理、美意識や価値観といった観点や知識を根っこにした共通性まで、通底させて背景にしてみせようとする意気は好ましい。

ごく自然に振る舞っているときにそういった地平に目を向けたくなりがちではあると思う。好きなのでなんかそうなる。しかしこういった哲学的な眼差しと、ビジネスマインドの"相性の悪さ"を感じることもある。距離感が異なるせいという認識だ。哲学とビジネスでは求められる丁寧さ、緻密さ、スピード感が異なるというか。振る舞いのノリにズレがある。ケースバイケースだがそういう場面が多い。あるいは現職の職場だとそういう状況が多かった。

チョコレートの成分を突き詰めて理解しなくても手土産としては持参できるし、電車の構造と交通の歴史を知らなくても通勤は可能だ。誰と誰がどこまで知っているかの情報量の濃淡、アンバランスに気づいたとしても、職場でうまくその合間をぬって動けているなら、毎度毎度是正している場合でもない(時間もない)。ある程度の「見通し」「問題のなさ」「納得感」があれば進めてよいときに、突き詰めたところまで求める精神性を発動させていたら、そりゃ齟齬も生まれる。

ただ、根幹・根源・根本を問いたがる哲学的観点と、社会を逸脱しない範囲の中で手際よく回そうとするビジネスマインドを、うまく合致させられる瞬間も、なくはないようだ。というか、綺麗に合致させる高度なスキルの持ち主がこの世にはときどきいると知った。難しいが、できるんだなとは思っている。限られた一定のペースで混ぜ合わせたときだけうまく混ざってくれるみたいな神業的「噛み合わせかた」スキルがあるんだという認識だ。そういう融合的なやりかたを指南してくれる言葉も見かけることはあって、とても好きである。

今の流行りと、人類に対するよさ

人類の根本的な「よさ」に立ち返って、ある状況を眺めたときに、そこにある"現代の偶発的な流行"が、そういう人類の根本的な「よさ」に対し、反している、逆効果である、悪循環になっている、むしろ有害だ、といった状態である可能性はもちろんある。ノリと勢いによる短期的でローカルな盛り上がりが、都合よく、人類によいものものばかりのはずもない。隆盛がプラスに働くかマイナスに働くかは運だろう。見方にもよるだろうが、ただの自傷のような盛り上がりだってときにはある。

哲学、批評、思想、それこそ学問や知性といったものが(それらを愛するひとたちが)その予兆や雰囲気を感じ取って、批難と糾弾を向けていたなら、やはりビジネスとの相性は悪くなるだろうなとは思った。批難や糾弾をしている暇があるなら、その"現代の偶発的な流行"を掌握し、手のひらで転がすようにして乗りこなしてみせる、という勢いが、ビジネスマインドの根幹にある印象だからだ。

ツッコミ対ツッコミ

丁寧かつ精緻に見すぎている暇なんてないだろ、というツッコミと、乱暴かつ粗雑に見ていたらピント合わんだろ、というツッコミのあいだの"戦い"があると思っている。永遠の課題っぽいが、さしあたり、個々のシチュエーションにおいてはコンテクストに合わせた最適解を探せばよいんだろう。もうちょっと丁寧・精緻に寄せていったほうがよいと感じるのは、人類の進化・発展が今後も期待はできそうだし、まだまだ途上だという感覚も強いので、「あんまりあせるのは基本的によくないよね」という経験則が適用できそうに思えるためかな。ビジネスないし資本主義はあせりすぎには見える。あせりすぎがほんとうに、問題か、欠点か、改善点か、というのはまた、疑問にはなってくるんだろうけど。