世界は称賛に値する

日記を書きます

2023年11月2日(木)大量の素材におののく

書きたいことが多いほど書きづらい問題

特別な出来事が多かった日ほど日記って書きづらい。コンプリート欲が強すぎるせいだ。網羅されたリストしか許さない精神である。しかも浅はかなやつと言える。表層的な完璧主義と言ってもよい。たとえば"学び"が十個あった日だったら、その十個すべてを書き出すまでは未完と見なす。そして(不完全なものを見せる恥ずかしさを気にして)公開を許さない。十個中ひとつやふたつなら当然ダメだし、五個くらいは並べることができていてもダメである。もちろん、九個であろうとダメだ。というかむしろ、ひとつやふたつのときなら、逆に許すケースがあるかと思う。残りはのちほどピックアップします、とかなんとか言って、暫定的完成だと見なすことを許す場合がありうる。九個まで集められていたなら、完成間近だ、ここまでピックアップできたなら逆に容赦しないぞ、最後までやれよ、と、変に厳しく判定しかねない形だ。

阻害になっている精神をひた隠しにする

みっともなさをひた隠しにするための精神だよなあ、とは思う。こういった「粗雑な恰好つけのための振る舞い、および、それを制御しようとしすぎる精神」は、気になる。最近ちょくちょく気にしている。あえてスポットライトを当てることによって、運よく、よいほうへ変わってくれることもある。短期的にはたいてい些細な変化だ。けれど、ちいさな変化が積み重なっておおきな改善まで繋がってくれることもなくはない。そんな情景を期待してスポットライトを調整している日記文が最近は少し多めかなと思う。言葉に対する期待感は(良くも悪くも)前より増している。

木曜日

明日の11月3日は祝日の金曜日になる。三連休前日だった。学びの多い週ではあったと思う。要素が多かった。問題点・改善点・反省点も多かった。精緻な言語化によって可視化させておきたいとは思った。おのれに認知させたいと思った。改善の第一歩がそこにあると最近は感じているからだ。結果として、ぜんぶを言葉に出来たら日記完了としましょう、という意識が働いていた。しかしそれじゃいつ終わるかわからないじゃん、というツッコミ意識も駆動した。ひとつも書かずに終わるよりはひとつだけでも書いたほうがマシ、というところに下限ラインを引くことを意識に取り入れた。厳しい基準がサボる理由に転化するフローは極力止めたい。