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日記を書きます

2023年10月26日(木)快楽に溺れるのと、言語化業務日報

快楽に溺れる

目先の快楽には溺れがちだ。目の前ににんじんをぶら下げられたら我慢できない。我慢することの美しさに目が向く瞬間もあるので、そのときの惹かれかたをうまく胸に刻むことができれば我慢を楽しめるんだろうと考えることもあるが、現状は未遂である。たとえば日記も快楽が強くて、常に引き寄せられている。嵌まってまわりが見えなくなることは多い。特にいったん筆が乗り始めると厳しい。ほかのことを放り投げるくらいの勢いで没頭している。時間配分が狂う。そこは懸念点だ。勉強や仕事の妨げになっている場面も目立つし。まあでも、日記は、書きたい。なんだかんだ我慢はできない。なんとか共存させたいため、業務日報や勉強記録も日記に混ぜて書いちゃおう、とは前も考えたし、最近も考えている。小賢しくてもよいので両立させたいくらいには日記活動が楽しい。といったようなことを、業務日報を書くかあ、と思って、前振りに書いた次第である。

言語化

言語化が済んでいると、まずひとつ、自分自身の中で言葉を使いながら考えることができる。そして、もうひとつ、言葉を使ってひとにわかりやすく伝えることができる。このふたつが効果を享受できることはほんとうに大きな価値っぽいな、と感じるようにはなった。強烈なメリットを感じている。特に仕事面で思うようになった。以前は、世界観ベース、人間関係ベース、学問ベース、といった背景のもと、「言語化するのってよいものだ」と思っていることが多かったのだけど、なんとなく、風向きが変わった。というか風向きが増えた。仕事ベースで役立つことに気づくまで時間がかかったとも言える。おそらく、それが求められる業務環境ではなかったのだろう。あるいは、いまのほうがより「言語化」を求められる環境になっただけかもしれないが(前までは、所持している言語化能力で事足りていたというか)。未経験の仕事に就いた場合はそうなりがちなのかなとも思う。確かに、教えてもらう、学ぶ、といった事柄が多い状況なら、言語化の重要性も増していく。そういった空気に触れて、新たな風を受け入れられた、って感じかな。

オフィス環境

オフィス環境の検討を進めている。環境を刷新する業務だ。工事区分などの用語も詳しく知らなかったので新鮮な話も耳にする。新たな家具や機材を決めるための基準にも迷っている。いろいろ試行錯誤しているが、こういったときの混迷や決意も言語化できたほうがよいんだろう。記録もしておくとよいんだろうなとは思う。言語化できるというのは「思考法・思考経路」「物差し」「なぜその手法と基準を選んだか(選ぶときの背景にある価値観)」をちゃんと説明できる、ということかな、と近況では考えている。聞かれたときにそれらが答えられることとも言える。せっかく業務日報を書くなら、そういった部分に目を向けて、できるだけ明瞭に描いていきたい。

動きの悪い業務

動きが鈍っている業務がひとつあって、そこを強く気にしているここ数日だ。後ろめたさがある。こういったところがのちのち問題になっていくので、あえてピックアップしておこう。内容は指導・研修のための選定業務だ。業者を決めるのが最終目的だ。しっかり情報を集めたうえで、選択肢を丁寧に提案し、決裁権者に、最適な業者を決めてもらう必要がある。つまり、最適な決定に至るまでのルートをこちらで整える必要がある。そのための交通整理が進んでいない。情報があちらこちらに取っ散らかったままになっている。集めるだけ集めて放置している。構造化を面倒くさがっている。資料が作れていない。どこかしらから着手しなければならないなとは日々考えている。大袈裟にとらえて及び腰になっているようだ。せめて簡単なところから手をつけないとなにも進まないぞ、と、わかっていても避けている。一度着手すればそのまま自動で前に進んだりするのに、というのもわかっているのに目を逸らしている。なにかひとつ手をつけてみるとよい。あるいは、おおまかでよいので流れを見つめ直してみるとよい。選択肢は(典型的だが)このふたつになるだろう。驚くほどやる気が引っこんでいたので、当然っぽい気持ち、浅はかな気持ち、までふくめて、とにかく書き出してみたが、こういうのってなんだかんだ効果がありそうだ。ほんのり気が乗ってきた。明日は動けそうな気はする。こういった基礎的な手法もあらためて楽しんでしまえばよいんだろうな。

軽やかと細やか

ユーモア的・ジョーク的なものも織りまぜながら言葉を進めていったほうが口も頭も回る、という状態はある。ふざけるくらいのほうが(精神的にも、内容的にも)気持ちのよいものが書けることはたしかにある。業務日報は重苦しさもあるので、そういった軽妙さと軽薄さを混ぜてもよいんじゃないか、とは思った。とはいえ、繊細さや緻密さと喰い合いそうなところもあるので気をつけたい。軽やかさと細やかさってなんとなく似た面もあるけれど相性は少し悪そうだ。両立できるか不明である。ただ、共存させられるだけの絶妙な味付けもあるのかもしれないし、発酵や灰汁抜きによって馴染ませる調理法だってあるかもしれない。そういった工夫は意識しておきたい。