世界は称賛に値する

日記を書きます

2023年10月27日(金)思考テンプレートと、期待過剰

思考テンプレ活用

下ごしらえ済みの「思考フォーマット」「考えかたテンプレート」のようなものをもっと活用したほうがよいんだろう。認識や思索が浅いところで止まるイメージがあって、忌避していた。典型的で明快なものであるほど特に印象も悪かった。世界はそんなにわかりやすくないじゃんとかも思っていた。しかし、活かせるならそこまで悪くない、というかむしろ、積極的に使わせてもらったほうがよいくらいなのだと思う。守破離における「守」を、つまり基本となる動きの「型」を、会得するためには、これくらいありがちでシンプルなものから手をつけたほうがよいのだ。じゃないとスムーズに訓練が進まない。行き詰まる。これまで真面目に訓練したことがなかったせいでわからなかった。緻密に物事をとらえた複雑な"本物の"理論に最初から触れておけば、むしろ真なる境地に到達できる、くらいの過剰な期待を抱いていた。自分ならそれくらいできるという根拠の乏しい幻想もあった。とはいえ、ほんとうに思考停止にいざなわれるくらいのスカスカな硬直テンプレもあるのだろうから、見極めは必要だとも感じるけれど。

言語化に夢見がち

最近は「言語化」に変に夢を見ているとは思う。自覚はある。言語化が上手になれば現状の問題点をすべて打破できるくらいの過度な期待を寄せている。まあ行き過ぎではあるにせよ、狙いは間違っていなそうかな。とりあえず発端には、「問われたときに整理した形で話せていない」「説明が伝わらない」「結果的に理解が得られていない」「説得できない」といったシチュエーションが発生していることがあるんだろう。そういった状況にちょくちょく遭遇してはダメージを受けている。解決の糸口としてとしていわゆる「言語化」が目についた次第だ。粒度を細かくする、解像度を高める、精緻化する、構造化する、といったことを言語化の向こう側に見ているともいえる。

理解が浅く粗く、甘いため、説明がスカスカでツッコミどころが多くなっている。しかも、そこをツッコまれると答えに窮したりもする。さらには、無意識に責任を回避するような曖昧な言葉選びもまろびでてしまっていて、事実と意見の切り分け、レイヤーのズレ、事実の確度が明確でない、といった難点も散見される。要するに、決裁するための情報としては役に立たない問題が発生している。ここはあらためてなんとかしたい。言語化に夢見すぎるのはともかく、こういうふうに書き出してみるだけでも、内面感覚はかなり変わる。こういうのが有効打になることもあるんだろう。期待したい。