世界は称賛に値する

日記を書きます

今年の日記を読み返してたよ

▼▼携帯電話で過去の日記を読み返していた。年間自薦集を薦めてる話を読んで、じぶんの文章で自薦が可能だろうか、と思ったせいだった。以前にも数回、雑な気分で試行錯誤してみたことがあるのだけど、うまく推薦できないな、と結論して、諦めていた。雑な自覚はあって、推薦できなさそう、という判断をぜんぜん信用してなかったけど。▼▼という流れで読み返しながら、改めて、自薦したくなるか脳内で試した。▼▼二〇一四年ももう終わる。残り一週間ほどだ。三六五個の日記を残そうという目標が今年はあって、まあ達成できそうだ。比較的好きな日記を毎日書いてこれたんじゃないかと思う。思ったより習慣づいてくれたかとも思う。まあ穴埋めのようなことも日々してるし、ほんとうに毎日日記を書く、という習慣までは根付かせられてないけど、でもまあ、少しずつ負荷が減衰してきてるのがわかる。来年もおそらく飽きるまで続けるだろうし、飽きるのは遠いだろう。なんてふうに発言しておくことはまあできるけど、飽きる日が予測できるなら苦労はせんのだよ、という声も脳内に響くのだった。脳内に突然やってくるツッコミ声はうまく制御/調教してみせたい欲、あるけれど、振り回されるのが楽しいところっていうのもかなりあって、掌握しきれないじぶんって案外楽しいよね、とか考えたりもしてみた。掌握しきれないことが楽しいのか、掌握できないものがじぶんだからこそ楽しめてるのか、掌握できないとか言いつつ実は大半くらいできてたりするところに余裕ぶっこいて楽しんでいるのか、あるいはほんとはいまいち楽しんでなかったりするのか、それとも、こういうことを言っちゃうこと自体を楽しんでいるのか、まあまあ不明だ。境界線も曖昧だし毎回ポイントが違う気もする。なんていうふらふら文章、ひさしぶりに書いたな。よい。
▼▼日記読み返してたら「日記について」を含め「文章を書くについて」の記述が過剰に見えて、あーあー、と思った。悲喜交々のうめきであった。まあ素直に楽しんでるのがわかる文章だったし、実際楽しかった記憶が強く残ってるし、読み返していても非常に楽しかった。にしてもまあ、流石に、少し、このあたりから──日記書きながら「日記」というものを題材や素材、テーマにして文章書いちゃう領域、から、離れてもよいかもー、とは思ったのだった。連続で読んでたらちょっと飽きちゃったぜ、というだけのことだけども……。まあ、だけのことだけどだけのことでも活かそうぜ、ってことだろう。
▼▼じぶんの思考や感覚を見つめて観察日記をつけるの楽しいねー、なんて説明できる活動を好んでて、日記を書きながら頭の中を見つめてるんだから日記を書いてる最中の脳内描写が増えちゃうのはわかるけど、流石にちょっと飽きた。飽きたからね! と言い聞かせて年末を迎えようと思った。ぜんぜん聞きやしない可能性、結構あるね……。