世界は称賛に値する

日記を書きます

融通無碍の9月12日火曜日

石頭

どちらかというと、こうして日記を、つまりは趣味での文章を、書いているときのほうが、仕事中より頭が働いている。そういう感覚がある。いうなれば回転が滑らかだ。軽妙さや優雅さも感じる。比較して、仕事中の頭脳はぎくしゃくしている。特に最近はそれが目立つ。視野も狭い。ほがらかじゃない。閉じこめられているかのようで、あちらこちらに行けない。息苦しくて、しかめっ面だ。が、ただそのぶんなにかには向いているのかもしれない。固定的で拘束的だがたとえば回転自体が速い可能性は少しある。気が乗らないことでもなんとかやれるような諦めに似た集中力がある気もする。

鈍重

今日の仕事中、頭の中を整理しようとして、ここで書いているような文章を書こうとしてみたのだけど、まったく書けなくて、驚いた。どろどろとした重苦しさがあって、うまくリズムに乗れなかった。こんな粘っこい頭で考えごとをしているくらいなら、日記を書いているときみたいな、軽々しい精神のほうがきっとよいと思った。真っ向から向き合わず、だましだまし、煙に巻いているだけみたいな、ちゃらんぽらんな軽薄さもたしかに混じってくるとは思う。それでもこんな、健やかな説明ひとつ出せない暗い表情の頭の中よりはよほどよい。もっと明るく照らしたいと考えた。

低重力

というようなふわふわした文章がどうしても書けなかった次第だった。フォーカスも足取りも、今は浮ついている。不安定で不確実な言葉を書いているし、書けている。手を伸ばして連想が届く範囲で、上手い言い回しを考え出して、並び立てているだけではあるだろう。的確さを問うならだいぶあやしい。好きな言葉チームを勝手に結成して散策を楽しんでいる感じだ。ただそこ判断軸には言うなれば広さを感じる。こういった低重力な理解力が仕事中は発揮できなかった。寝不足のせいという身も蓋もない答えの可能性はある。