世界は称賛に値する

日記を書きます

日常印象とのリンク切れ、と、頭が真っ白

▼▼日記を前にして頭が真っ白になってうまく言葉が書けないことがあって、この「頭が真っ白」って何? とか時々は思ったりもする、のだけど──。▼▼日常、普段、自然に活動してる中で「思いついた事柄」が、こまごま、ほそぼそと、あって、こういう「諸々思った事柄」を保管なり蓄積なりしてくれてるような「記録板」が脳内にあるような気がしてる、のだけど、なんか突然、この「記録板」とのリンクが切れてしまうことがあるようにも思ってて、この「不意のリンク切れ」こそが「頭が真っ白」の基盤なのかな、という風情で認識しているところが最近はある。
▼▼けど、ほかのことをやっていたら──記述以外の行動を取っていたら、またあっさり繋がってくれたりもするので、というか、ほかのことをやってて「思いついた」なら、日常の中で思いついたことは「記録板に刻まれるのが道理」なので、道理に従い改めてまた記録板とのリンクが繋がってくれるため、この繋がった瞬間をうまくかっさらって──すり替えるように誤魔化して──隙を衝いて、行動を「記述」モードにスイッチングすることによって、書けるようになったりする──。▼▼というようなことが起きてるのかもなあ、なんて画像が脳裡に浮かんだ。
▼▼日常印象を蓄積してる保管庫とのリンク切れ、と、頭が真っ白。
▼▼日常の中に続いていた印象から頭が切り離されてる瞬間みたいなのがあるのは、まあ判る、のだよな。休日明けの意識が休日前からの流れを継いでくれてる時、と、意識しないと自然に思い出せないほどすっきり途切れてる時、あたりを情報源に考えてる。
▼▼平日が辛いせいで防衛本能でリンク切断、とか、休日にあった予定が楽しすぎて休日に意識が集中しすぎてリンク断線、とか、リンク切れが起こりうるであろう環境は、まあまあ想定できる、かな……。けど、ぜんぜん判りやすくない認識の変動もたまにある、かとも思う。就寝時に壮大な夢を見すぎてリンク切れ──寝起きで「ここはどこ……」的な雰囲気に包まれて、リンクが危うくなる、こととかも、あるような。
▼▼ぜんぶがぜんぶでもないかな……。むしろ書くことで「記録板」とのリンクを復活させる、って切り口もありそうだし。▼▼言葉を書き連ねていくことで、日常、にリンクが繋がり、書いている内容に関連する事例が日常の記憶の中からふわりと浮かび上がってきてくれる、というような状況を考えている。
▼▼っていうような思考をした。確信面でアヤシイ文章ではあるかなー。▼▼一回言語化してみたものの、妥当性にいまいち確信が持ててないので、素描、っていうような言葉で評価しておくべきだろう、って認識が、文章に対してある時は、確信も自信もないよ、を背景に書いた、ってことを残しておきたいような気はした。▼▼のちのち読み返した時にじぶんの自信度を測れる気、しないし……。▼▼タグを作るのもアリかな……。