世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年05月08日(水)勝手に言い換えるが、既存の単語を誤解させるんじゃなければまあよい

可視化と見える化

「可視化」と「見える化」という二つの単語に対して、「見える化」なんてビジネス界隈で勝手に使われているだけの俗で薄っぺらな言い回しじゃん、「可視化」があるんだからこんな言葉使うなよキモイ、といった形で糾弾するような見解を見かけた。その理屈を見て考えたことはいくつかあるが、ほんとうに同じ意味なんだっけ、というのはまず思った。ある単語の「外来語版」や「日常語版」が、もともとの意味と示す範囲を微妙に変えてみせてくれる(繊細な差異を表現してくれる)ことくらい、いくらでもあったので、変に同一視して切り捨てようとするのはよくないんじゃないかな、と思うところはあった。

以前に「可視化」「見える化」それぞれのフィーリングの違いを丁寧に解きほぐしていく説明を見かけたことがあって、そのときに感じた驚きから、なるほどこういうところにもそれぞれの使い道があるんだな~、いずれも大切だと見なして使っててよさそうだな~、と思うようにはなっていた。あいまいな記憶だけど、「見える化」のほうを、より実践的な意味合いを持つものとして語っていたような印象である。頭と手でいえば「手」に近い。数学的か工学的かでいうなら「工学的」寄り。あるいは、実際に"役立つかどうか"というところで線引きをしてみてもよい。役に立たなくても「可視化」とは言えるけど、「見える化」は、役に立つ形で「見えるようにした」ところにしか当てはめられない、というような。

あとは、ごくごくシンプルな不満として、同じ意味合いでも複数の言い回しがあったって別にいいだろ、って思った。薄っぺらくて俗な言い回しだから許されないとか安易に言っちゃうのもなんなの?スラングであることが非難の理由になるってどういった理屈なの?とも思った。学術用語・専門用語が、我田引水的に、意味をねじ曲げられて悪用されているケースだってときにはあるのに、そういった極悪非道なケースを差し置いて、こんな「見える」くらいの日常語を織り交ぜた単語なんか攻撃している場合か?とも思った。

スラング好き

若者なりビジネスマンなりが、新しさ×わかりやすさ×馴染みやすさ、くらいのノリで出してくる変化球的な言い回しは、けっこう好きだ。ネットスラングとかも同様である。たしかに、前述したような、「使いやすいように勝手に捻じ曲げられた学術用語・専門用語(勘違いを誘発させるやつ)問題」もときにはあるため、なんでもかんでも「よし」とは言えないところはあるのだけど、まあしかし、そうじゃないものだってある。「可視化」というちょっと難しそうな言い回ししかなかった時代に、もう少し柔らかさを出せないかな、違う面を強調できないかな、手触りが変えられたらもっとしっくりくるかも、というふうに想像力を働かせてみて、「見える化」とか言ってみせる精神は、だいぶ嫌いじゃない。