世界は称賛に値する

日記を書きます

迂遠のハイドロゲン2/1水

回りくどい

極めて当たり前のことを”回りくどく書くと”かなりつまらない印象になるなと思った。もともとのっぺりした平凡な意味内容が、さらにべっとりと引き延ばされた感じになって、読むのが無駄という感触が強烈にあらわれる。この問題に対して、「回りくどく書くと」の部分を見ないようになっているなと気がついた。そこを省略して「当たり前のことを書くのはつまらないものである」といった理解だけで判定を終わらせるようになっていた。キモが「回りくどく」にあるであろうことにフォーカスを当てなくなっていた。

「当たり前のことを書くのはつまらないことだ」に対する反論として、「そうかもしれないが、しかしそれでも、書きたいなら書けばよい。別にいいじゃん」という理屈を構築するタイミングもあったのだけど、そもそもフォーカスを当てているところがちょっと違いません?と気づいたのだった。

たしかに「やろう」と思ったことをやればよいし、つまらないからといってそれだけで否定できるようなことでもないのだけど、そもそもの「やろう」と思ったことがしっかり認識できていないのなら、つまらなさの意味合いをあげつらって肯定してみせたところで効果はない。

意味なくない

意味ないじゃん、なんて言ってツッコむときに、いや意味はあるだろ、という反論を思いつく場面は多いのだけど(自分で「意味ね~」って言いながらも脳内で反論していたりする)、実際のところ、「意味がない」って言っているときは「意味が通らない(論理的整合性が崩れてますよ)」と主張しているんだよなー、と気がついた。

「意味を計測しました!値は無です!」と「意味発生装置のプロセスが壊れてます!」じゃぜんぜん違うよな~。このふたつを普段は混同している。