世界は称賛に値する

日記を書きます

7/12(水) 舞台の緊張を意識する

水曜日

昼過ぎに普段使っているオフィスから別オフィスに向けて徒歩で移動した。暑かった。最初は笑ってしまったけど肌に触れた熱が静かに浸透してきて唸った。水分補給の名目で飲み物の自動販売機を使ってしまうことが最近多い。無駄遣いの中でも最強とかいう話はときどき見かける。まあおっしゃる通りだろうとも感じる。対策としては水筒になるのかな。しかし何度か挫折している。諦めずに何度でも挑戦するがよいという意気込みが許されるくらい節約にはなるはずなのだけど、難しい。慣れない。"軽くて楽ちん"を狙いすぎて失敗している気はする。すぐ飲みきって不足するのが挫折の主な要因だった。ほどほどの水量が保てるやつを使ったほうがおそらくよい。大きさと重さをどらくらいに抑えられるのかは不透明なのだけど。あとで調べてみよう。

しかし、日記に「もっとこうしよう」「これはあんまりよくない」って書くの、思ったよりアクセルやブレーキになってくれるものだ。あらためて実感している昨今だ。日記を書いてなかった時期のことをあんまり思い出せなくなってきたので、うまくは比べられないのだけど、書いた言葉を数日くらいは頭の中に棲まわせているところがあって、おもしろい。以後数日も、自動販売機の前で「もういい~暑い~ジュース買っちゃおう~」って思いにくくなるんじゃないかなって思える。いやいや無駄遣いだよ……、って否定する自分が登場する確率が高まる。確率調整できるのがおもしろい。

傾聴する

ひとから話を聞いて進捗を確認していく時間があった。ヒアリングした。時間的な余裕があったこともあってそれなりに詳しく話を聞けたんじゃないかとは思う。が、改善点もあった。もっともっと傾聴できたはずだよなあと思えた。

最近ちょうど『LISTEN』という本を読んでいて、いろいろと学ぶところがあった。、「"相手の話に好奇心と敬意をもって耳を傾ける"ことのよさ」の事例がずらりと並んでいて学びが多かった。その中で得られた教えを活かしたいものだと思って臨んだはずなのだけど、うまく活かせなかった。その場になったら頭の中からすっかり吹っ飛んでいた。目的意識や行動指針的な心構えをすっ飛ばしてしまうことが多々ある。今回も同様のことが起きて、目的も指針も曖昧な(よくいえば自然体ではあったであろう)振る舞いになっていた。好奇心をもってひとの話を聞くこと自体は嫌いじゃないので、無意識に「"相手の話に好奇心と敬意をもって耳を傾ける"」が実践できていたならよい、とかいうご都合主義的な期待も持ってみたりはするものの、それはそれとして、次はもっとうまくやりたいなと思う。反省する。

皆の視線が集まる(と解釈している)舞台の上に、自らの足を踏み入れた瞬間、緊張で頭の中が真っ白になって、ぎくしゃくした動きしかできなくなる、というところは昔からかなりある。回避策も安定しない。対策を立てたところでそれもひっくるめてホワイトアウトさせられるくらいの勢いがあったりするのだ。まあそれでも、繰り返していく中で、ちょっとずつ慣れて、ちょっとずつ上手くなって、ちょっとずつマシにはなっていったりはする。わずかなものではあるにせよ、改善していけることについては、あらためて期待しておきたい。あえて人前で派手なことをやってみせて恥ずかしさに慣れる訓練(あんなに恥ずかしいことをやったのだからこれくらいはなんでもないだろと再解釈させてくれるタイプの訓練)をやっておいたほうがよかったんかなあ、なんて思わないでもない。そういうのもだいぶ避けてきてしまった。

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LISTEN――知性豊かで創造力がある人になれる

明日の打ち合わせ

業務中に「このまえ提出いただいた書類のチェックを明日しましょうか」というメールが届いて、うーん、ってなった。粗雑で曖昧な点も見られる書類であったため、少し憂鬱になった。質問に答えられるよう明日までに詳細を詰めておいたほうがよいんだろうか、と考えながら帰宅した。けどあれ限界があるんだよな~。そもそもが不明瞭な話で、まとめきれないところがある。むしろ明日の打ち合わせが、素直にそこについて質問できる場であってくれたら、そんなにありがたいことはない。が、どちらに転ぶかは読めない。そうだよな~と思いながらの帰路となった。