世界は称賛に値する

日記を書きます

行動を記録しなかった4/29土

情景と行動

文章を書くときに"思考の粗出し"ばかりしがちではあるので、具体的なことを書いたほうがよいんじゃないのか、という自省はかなり頻繁におこなっている(そして、その自省の話もよく書きがちというか、数日前にも書いていたような)。

幾度となく考えている題材なのに、具体的なことを書く、という行為に対して、「情景を描く」のと「行動を描く」のを混同してしまうんだよなー、と気づいた(これもまた何回目の気づきだかわからないが)。 例えば最近はわりと渋谷駅周辺を動くのだけど、渋谷駅のまわりでなにを見たか聞いたか、天気や気温はどんな状態だったか、といった"見聞きの結果"を書き残すのと、まずこんなことをやった、そのあとこんなことをやった、といった"行動の結果"書くのは、異なる。異なるけど、どちらも「具体的なことを書く」なので、混同しがち。

具体的なことを書こうと思ったときに、最初に想像してしまうのは、前者の"見聞き"で、なにを見たっけ、なにを聞いたっけ、今日ってどんな情景だったっけ、だったりする。が、たまに、具体的な描写を書き連ねていて、シュッとしていて、かっこいいな~とか思い、そして、自分も書きたい、と思う記録は、行動だけを淡々と描いているタイプのものだったりする。

「何回目の気づきだかわからない」とも書いたけれど、ここって、実は、これまで気づいてなかったところかも、とも思えてきた。いまさら認知に組み込めた感もある。

新たな型に刷新できず忘れ去られる

いや、うーん、なんというか、こういう「認知プロセスの刷新を要求してくるくらいの新たな気づき(これまでの解像度の低さ)」って、結局うまく馴染ませられず、忘れ去られてしまうことが多くて、結果として、何度か気づいたことがあったにもかかわらず"これまでずっと気づいてなかった"ことになっている、みたいな状況な気もしてきたな……。