世界は称賛に値する

日記を書きます

空振り思案中3/19日

次の文章のために

文章生成AIが「文章を書くときに人間が考えていること」("書くときにはこう考えているはずだ"とこれまで思われていたこと)に関するパラダイムまで転換させかねない、という可能性についても最近は語られていて、楽しそうな切り口だなと感じる。文章生成AIの構造からフィードバックする形で人間の「言葉の使いかた」を見直す試みだ。

ある文章が目の前にひとつあったとき、わたしたちは、その次に来る文章を"考えている"と思っているけれど──つまり"選んでいる"あるいは"思い出している"、というような状態を想定しているかと思うのだけど、実際はそうではなく、昨今の文章生成AIのように「次に繋がる文章を"確率的な濃淡の中でランダムに発生させている"だけなのではないか」という視点だろう。おもしろいし、ありうる、とは感じる(文章生成AIの機構がほんとうにそういう形なのかしっかり理解できているわけでもないのだけど)。

文脈の感じ、条件設定の感じ、話題ごとの進めかたの感じ、単語の分布の感じ、といったもろもろの"感じ"の濃淡をチェックして、次に来る"相性がよさそうな「連想」"を生じさせているだけ、というモデルで考えるのは楽しそうだと思える。ちょっとした齟齬やズレがあった場合、無意識に精査したり調整したり、都合よく解釈し直したりしてそうなところもありそうで、そこも楽しそう。

連想については、シンプルに考えると、「次に置かれうる単語」みたいに考えてしまいそうになるのだけど、おそらくは、もっと広い範囲、たくさんの条件を加味し、複合させて、巨大な区切りで「次に置かれうるもの」を算出してるんだろうなと思う。実際に描かれるのはひとつの文章だけであっても、その文章がそこに置かれるための背景は巨大なものであって、その巨大な背景を造り上げるための"連想"がなされていそう、という理解だ。