世界は称賛に値する

日記を書きます

7/11(火) 仕事の反省を意識する

火曜日

目覚ましは午前6時に設定している。それが鳴る少し前には目が覚めた。布団の中でほどほどにだらけた。昨日の反省から、もしあわただしくなりそうなら早めに動こう、と頭も働いたが、昨日ほど切羽詰まった状況ではなかった。無理のないペースで朝の準備を進めて家を出た。

Audible『もしアドラーが上司だったら』を聴いた。物語調のアドラー心理学の解説書だ。アドラー心理学。枠組みや細かいところでは好きな「世界への”向き合いかた”」だと感じる。少し話題性を帯びた時期もあった。称えている人もまあまあいる印象だ。そうなると、語られている正確な内容と、称えている人たちの称賛する声を、分けて考える必要が出てきたりもするけれど(称えるひとたちの声が雑だったりするパターンもあるので)、そこはまあしかたない。とはいえ、改めて話を聞いてみれば、たしかによい考えだ、とは思えるところは多かった。深掘りしてみてよいなと思えた。心理学という呼びかたが妥当かは微妙だが。

出勤後は会議の準備を行なった。事案があまりなく逆に報告を詰めるのが大変だった。昼にその会議を終えて、午後は落ち着いた。まったりした。が、まったりしている場合ではない。ひとりのときに進めておくべき調査や分析がいくつかある。手が空くなら進めたほうがよいのだけど、気がつくとわかりやすい定例の資料作りや整理に手を伸ばしてしまっている。よくない。

仕事の反省

誤解を招くメールを送ったことが今日の仕事の反省点だ。折り返しの電話で質問されて、たしかに相手側の認識ならそう思われてもしかたがないと理解できた。シンプルな形にしようとしすぎて穴が出来てしまっていた。注意書きを粗めに書くなら「誤解を招く言い回しはよくない」「できるだけ具体的に書こう」「相手の立場にたって考えよう」となるのだろうけど、こういうのは結局、都度都度の文脈や気分があるのであって、それに沿う形でミスっているのだと思う。大上段に構えた「こうしましょう」という標語だけで今後のミスを一掃できるほど単純ではない。

言葉を削ってわかりやすくする習慣は、前より強固になった。基本的には読みやすくなっていると思う。が、それが過剰に効きすぎることもある。やりすぎることがある。過保護っぽい説明を削るのが常態化してしまっていて、わかりづらくなっていることもあるはずだ。今日のメールはそんな状態であった。相手の立場、相手の目線、相手の情報量、といったものをしっかり想像し、説明に配慮する。もっとうまくそれができていれば少なくとも今日のミスはなくせただろう。行ったり来たりにはなるが、日々、調整はしていきたい。

デッドマウントデスプレイ5巻

昨日に引き続き読んだ。完全に止まらなくなってるじゃんってなった。たのしいたのしい。いろんな区域の強者がほどよくかち合うのって好きだわ~ってあらためて思った。クロスオーバーの楽しさ。ずっと「誰が最強なのか」わからん感じのまま調整される手際がたまらない。それでいて別にバトル漫画じゃないところもよい。

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デッドマウント・デスプレイ 5巻 (デジタル版ヤングガンガンコミックス)