世界は称賛に値する

日記を書きます

成長する十七日、木曜日

一文字

いまのところ記述行為が妙に楽しくて、ここ数日はそれなりの文字数を吐き出せている。関連事項が次から次へと湧いて出てくる。とまでは言えないにせよ、なんとなく好調だ。見た目としても文字がいっぱい並んでいて充実感がある。でも、この充実感に慣れてしまうと、一行日記とかが許せなくなっていくんだよなー、っていうのも思った。同じくらいは書かないとならぬ、という強迫観念が脳を占め始める。経験的にはそうなりがちだ。あまりよくない思考だろう。一行だけしか思いつかないことだって当然あるし、別によい。とは思っておきたい(というか"一行"ってくくりそもそもなんやねん、とも思っておきたい。一行だろうが一文字だろうが一単語だろうが、所詮はこちらが勝手に決めた枠組みであって、一文字ぽんと置いてみせて、これが日記、と認識することの、何が悪いんだろうか。──という視座はあってもよい)

流れ

書くたびに、文章のリズム、論理のリズム、説明のリズムに対して、同じような流れを踏んでいる感触があって、手慣れたこの「型」を使ってしか文章を書けないんじゃないか、という怖れが湧いてきた。手持ちのリズムから離れにくくなってしまった。ですます調をあえて使うとかで多少の路線変更はできそうなのだけど……。好きな文章を真似するという行為をあまりしなくなったせいで、栄養が偏っているんじゃないか、とも思った。視野が狭まってはいそう。

いつもの流れ

理屈を見かけて、周辺の空間とともにそれを描いてみせてから、それについてまずはこう思いました、とはいえこうだろうとも思いました、っていう文章(の流れ)しか書いてないじゃん……、って気がしてきた。

金色のガッシュ2 第8話

読書記録。雷句誠『金色のガッシュ2 Page8』を読んだ。続編開始後、電子書籍で毎月一話ずつ刊行されている。続編が出ると聞いたときは多少の不安を抱き、第1話を読んだときは確かにおもしろいと思って、いまとなっては、毎月の楽しみの一つになっている。面白い物語をまた見せてくれてありがとうと思っている。登場人物が年齢を重ねたことが、面白さを損なってないとは思う。ただ逆に、面白さを増してもいない気もする(というか、異なる面白さに繋がる場合もあたのではないか? しかしそうでもない? とも思う)。少年たちのその後、おとなを描いたときに、何を描けるか、という問いはあってよい(別に描かないといけないわけではない)。