世界は称賛に値する

日記を書きます

雑談回という感じ4/12水

両立

TwitterとBlogを両立させるのは流石に厳しい。と、書いてみた通りのことを(文字通りのことを)頭に思い浮かべながら記述開始してみたものの、一文目を書いている途中からすでに、いやしかしそんなこともないかな~、という判定にはなってきた。書けることなんていくらでもあるもんなあとは思った。ぜんぜん言葉を吐き出せるけれど、ツマラナイであろうこと、ダサいこと、平凡なこと、紋切型の思考停止な常套句、クオリティの低いものはぼくの中にあると示したくない、といった恰好つけの精神があり、結局それが邪魔して書けないだけだ、書かないだけだろう、という言いかたが適切だとは感じてきた。「そんなふうに恰好つけちゃって、そういうの気にするの、あんまりよくないよ~」って気分になってそんな言葉を吐き出したわけだけど、これも、「いやまあ気にしたいなら気にしてもいいんでない」って気分になってきた。二転三転した形である。まあなんにせよ好きにすればよい。どうせどちらかに寄ったところで飽きるたんびに反対側に向かう羽目にはなる、という繰り返しなだけな気もするし。

青くさくてよい

厨二病だか中二病だか。やっぱりスラングって感じはあるし、見下して軽く見る雰囲気も出るのであんまり好きな表現ではないのだけど、いわゆる十代だか若者に特有の、特別視とか英雄視とか、そういった風味の精神。ニヒルでクールで黄昏れているのが格好良いと感じるとか、セカイ系とか、自分探しとか、あるいは、気功波もスタンドも念能力もアバンストラッシュも使える気持ちになってしまうやつとか。まあ同時期にあらわれがちな傾向を好き勝手に混ぜすぎな気もするが。ともかくこういった思考、精神、境地。あるいは趣味。今の歳に至ってもまったく消える気配ないんだけど、って思う。完全消滅はそもそも目論んでなかったけど、弱まった感じもない。たしかに前面には出さないようにはなった。が、絶賛稼働中だ。いつまでも少年の心を持って、とか、心の奥の幼い自分が、とか、大人になったけれど精神は十代といまいち差がない、とか、そんなような言い回しも耳にしたりはするし、そういう流れでいったら、厨二病的な精神だって、かなり素直に残っていることが多いものなんじゃないのかな、って考えたりはする(一般的なそのあたりのあつかいは今でもよくわからない。紋切り型の否定も肯定も見るけど、詳細が不明だ)。ぼくの中について言えばいまでも確かに元気よく活動中という気持ちである。まあ、配置くらいは換わったのかもしれないけど。または比率が変わったのかも。でもまあ、元気よく蠢いている。そしてなにやらけっこう重要な位置を占めている。未成熟な時期の完成度の高くない精神なので大人になったら軽く見てよい領域なんでしょう~、というような風潮に流されて軽視するのはとりあえずよくなさそうだなと自分としては判定している。まあ、厨二病精神を無慈悲に腐すというよりは、そういった精神を指す言葉をその後手に入れていって、大人になるにつれ、もうちょっと手慣れた言い回しで"それ"について話せるようになるものなのだ、ってことかもしれないけれど。そしてなんか話がズレた気はするけれど、例えば自分探しなんかを、まだまだ人生をかけてしっかりちゃんとやっていきたいな、とは思うのだった。若い頃に終わらせる的なイメージ、流石に強すぎるでしょと思う。ちょっと大人になったくらいで終わらせられるようなものでもないとは感じるし。むろん終わらせたと判断して調子づいて暮らせているひとのほうがいろんな面であつかいやすいのかもしれないですけどね、みたいな気持ちの昨今だ。

サイレント駆動

別にまったく"怒り"はない(というかあるかないかと問うことすらない)状態のときに、しかしなぜか自分の言葉が早口長文みたいなことになっていて、なんでこんなに口が回ってるんだろう?と考えてみて、うーん、もしかしてこのひと怒ってんのか?という疑問を自分にぶつけられるような状況(と言葉の運用)、けっこう好きだ。まあたぶん無意識に怒りを覚えているんだろう、的な判定で取りまとめがちではあるのだけど、厳密には怒りじゃないとも思っている。それをなんと呼ぶかまでは決めていないが。謎の熱量、熱の駆動エネルギー。比較的好きな謎の気持ちだ。