世界は称賛に値する

日記を書きます

学習欲の火曜日 6/13

火曜日

目覚めたのは午前6時頃だった。最近はだいたい午前5時~6時には覚醒していると思う。騒音とか明かりとかが関係しているわけでもなさそうだ。就寝時刻の影響も薄い気がする。いずれにせよ睡眠時間が短くなりがちではあるので注意はしたい。早めに目覚めるのを前提に準備する(さっさと寝る)のが重要だろう。早く起きたこともあって少し早めに家を出た。移動中に簡単な調べ物をした。部屋の模様替えをもくろんでいる。マットやシートをひきたい形だ。どういったものがよいかと昨晩は検討していた。選択肢が多くて難しい。

ブックカタリスト

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「ブックカタリスト」(Podcast)を聞いた。今回は「数学」「英語」「プログラミング」それぞれについて一冊ずつ、計三冊を取り上げる、という題材だったので、いつもよりはシンプルな話が三つ並ぶ形になるんじゃないか、と想像していたが、そうでもなかった。三冊の根っこに共通して流れている「身体性(によって学ぶ)」という話に総括されていて、たいへん興味深かった。

例えば数学において、われわれは、計算問題も、図形問題も、論理的な理屈に沿ってにひとつひとつ思考を進めているんじゃなくて、あくまでまず"直観"をもとに、身体に染みついた計算結果や図形イメージを活かして、その問題に向き合っている、というところから話が始まるところ、だいぶおもしろかった。数学も、英語も、プログラミングも、結局、必要な場で必要なだけ"身体"(頭を含む)を動かせることがなにより肝心なんだ、という切り口と、そしてそういった動作の訓練こそが、勉強の目的であり基礎なのである、という説明だった。「暗記」という行為がその動作訓練なんだろうなとも想像する。反復によって身体に染みつかせるしかない領域がある。

子育て等々においてこれを伝えていけるものかはわからないなとは思った。暗記から得られる大切な学びがある、って、子どもの頃はまったく気づけなかった。ので、そのときの印象をどうしても想起してしまう。「身体に染みつかせる」なんて概念にもなかなか気づけなかったし。こういったことをしっかり解説してみせたところで得心してくれたりするのかな~。教えかた、言いかた、訓練の切り口次第では、もちろんあるんだろうけれど。ただそれでも、少しでも飽きちゃうなら、その"飽き"をなんとか正当化しようとして、文句ぶーぶー言う、という方向へ流れることはありそうだと思う。それを止められるかなとは思ってしまう。

勉強は知識を「使う」ためにするのだ、というところから、では知識を使うということはどういうことか、っていう話になって、それは、頭で理解する(論理的に説明できる・意味を記憶する)ことではなく、ただ、身体を動かして使える(気づき、直観的イメージに従い、狙い通りに行動できる)ことなのだ、といったところへ話を進めていく。数学で例えば円についての問題を解いたりするけれど、これだって、円を論理的に理解し、それを丁寧に追っていくんじゃなくて、頭のなかに"論理性"とは無関係な「円」をひとつ思い描き、それを操作することで、直観的に得られる感覚をもとに、試行錯誤を重ねているはずである。その論理性と身体性の対比、組み合わせかたがおもしろい回だった。とてもよかった。