世界は称賛に値する

日記を書きます

漫画ジャンクションの5/27土

整え

考え始めはたいてい混乱している。気づかぬうちに無駄なものまで混ぜてしまっているし、余計な意識がヘドロのようにこびりついていたりもする。けれど、注目しているうちになんとなく形が見えてくる。論点や問いの切り分けかたもわかってくる。認知バイアス的な勘違いも、惰性的な思考停止や享楽的なこだわりも、はがせるようになってくる。最後はまあまあ綺麗な形に整えられる。そういった結果論的な"落ち"だけを見せたくなることって多いかな~。恰好つくし。整理済みばっかり見てほしいとか思ってしまう。見栄とか虚栄心、うわべの取り繕い。見せかけの装飾。なんかまあそういうふうにもなっていったりするけれど。

土曜日

たとえあまり特徴のない日だったとしても、煎じ詰めれば三つくらいは書くための切り口があるんじゃないか、と想像したりはする。いわゆる「三題噺」という落語の手法に引っ張られた発想だけど、悪くない糸口だろう。土曜日は夜にオンラインで友人らと雑談した、というのが、まずひとつ出せるかな。うーん、そうだなあ、あとふたつか。なにがあったかなあ。出てこないなあ。いやそんなことある?とは思った。とはいえ、こういう失敗事例をわざわざ書き残しておくという機会も(こういうのっていいよね、とか記述しておきながら、直後に、破綻している、なんて機会も)あんまりないし、たまにはよいかな。

深夜の雑談では最近の良作などをあげつらった。雑談しているとこのあたりの話にはなりがちだ。その流れで、ランダムにピックアップしたまんがなどを皆でいっせいに読んでみて感想を言い合うみたいな遊びかたどうだろう、といった話にもなった。試しにやってみよう、と選んでみた作品(ジャンププラスで乱雑に探して見つけたまんが)が、なんとも言えない出来で、ある意味ちょうどよかったりもした。この遊びはなかなか楽しい気がするぞとも思った。

まんがに対する駄目出し的な言い合いをしているとき、友人のひとりが、どうすればおもしろくなるか、というところにしっかりフォーカスしてツッコんでいたことが、なかなか印象的だった。ぼくは、なんというか、設定とか描写の矛盾点ばかり、ツッコんでしまっていた。矛盾の解消がおもしろさにつながるわけじゃないのに、ってことを再認識させられた。いや、それはそれとして矛盾してないというか「描写の背景にひとつの筋が通っている」物語は、とても好きなんだけど(だからこそツッコみたくなってはしまうのだけど)。