世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年12月07日(土)仕事中は気づけない

気づく前はゼロで気づいたあとはイチか

思いつきたい。気づきたい。あ!!!って言いたい。その切り替わりの瞬間が好きだ。それまでなかった認識が、突如、発生する境界線で、楽しみたい。

ゼロイチ(0から1を生む)みたいな言い回しもあるけれど、その内実は、いまいち、うまく、つかめていない。ほんとうにそういった「差」がありうるのかも不明である。無から有は生まれないとも言われたりはするし……。アイデアやひらめきなんてぜんぶ既存のものの組み合わせなのである、といった考えかたも見かけたりする。なにがゼロでなにがイチか、線引きはだいぶ微妙だ。ただまあ、スタート地点になる「はじめ」の発想と、そこから地続きの平面上でおこなわれる「つづく」発想の、二種類の区分があるようには感じられるる。二つに分けることができないといったらウソになりそうである。手法や難度の違いはある。

思いつく・気づくを、ゼロイチと見てよいのか、既存のものの新たな組み合わせと見ればよいのか、それとも、見えない状態だっただけのものが掘り起こされて(輪郭線が形作られて)ようやく見えるようになったプロセスを指せばよいのか、謎ではある。ただ、そこにある感覚を語るなら、新鮮味だけは、たしかに、めっちゃある。新しいなにかに出くわした!と、とにかく思えてはいる。そういったことはしたい。思いつきたいし、気づきたい。そのときの気持ちよさを味わいたい。

「気づく」挙動、仕事中にも取り入れたいのだが

だから、できれば、仕事のさなかでもそういうことがしたいな、とは思うのだけど、ぜんぜんできていない、というのが、この文章に着手したときの動機と趣旨であった。

理由はわからない。緊張や萎縮で、精神や気分の自由さのようなものが奪われており、そのせいで、自由に考えることができなくなっているんだろう、みたいな仮説は立てたりもしている。まあ、こわばっているの事実だ。リラックスできていない。あせっている。ビビっている。人間はリラックスできていないとこんなふうになっちゃうんだな~、と感じさせられる場面も多い。が、ほんとうか?と思うところもなくはないのだった。上司を毛嫌いしていて、そのせいで、からだがこわばっている、みたいなところは、正直あると思う。けど、どこまでその路線で考え続けていればよいかがわからない。事実として間違いない面があるにしても、この認識を信奉して、わざわざ継続させていく意味があるか?とも思ってしまう。

解決のためには別の視点でも考えたい

実際、怖い人や嫌な人を前にして、からだに力が入りすぎてしまい、滑らかに動いてくれなくなる、ってことは、あるんだと思う。そして、それに類するなにかが事実起こってはいるんだと思う。けど、これ路線って、解決策が、あんまりない気がするんだよな~。このとらえかただと、なんというか、行き止まり、って感じがすごくする。この道を進んでいってもなにもないよ、って思わされる。だから、それを信じている場合か?って考えたくなる。(事実として正しい側面がなくはないにしても)とりあえず否定しちゃえば?って気にもなってくる。

別のとらえかたもある気がするのだ。別の視点からの別の言語化。もっと、ぼくの振る舞いや指針によって、問題点と改善策にアプローチしやすくなるような、せめて少しは歩きやすくなるような、踏破しやすい切り取りかたが、ある気がする。

他責でとらえたり自責でとらえたり切り替えも可能だし

ある物事に対し、他責でとらえることもできれば、自責でとらえることだって可能で、そのふたつで比べるなら、自責でとらえたほうが対処はしやすくなるよ、みたいな論理パターンを、たとえばいまは検討しているわけだけど(そして、今回の「嫌悪で萎縮してリラックスできていない話」は、その「他責・自責」型のとらえかたによって、たしかに見るところを変えられそうな気もするのだけど)、「他責・自責」的な角度を使った話は、正直、あんまり好きじゃないんだよな~。わがままを言わせてもらえるなら、その「型」はあんまり使いたくない。

まあ、「他責・自責」といった対比で問題をとらえ直すことによって、認識の角度を(切り取りかたを)変えられる、という事実自体は、けっこう嫌いじゃないんだけど(いろいろ考えつくなあ人類、って感じがすごくする)。いってしまえば、それらにこびりついた手あかが嫌い、ってだけな気も、しなくはない。「他責・自責」思考を使いこなしていたひとたちが、いままであんまり素敵な雰囲気じゃなかった、とは言えそう。

きわめて気が散る

こころやまなざしを解放し、迷いながらも、健やかに、行ったり来たりしながら、よりよい角度、あたらしい立ち位置を、模索していく。そういう振る舞いがしたい。が、環境が趣味に合わず、摩擦が大きくて(軋む音が鳴り続けていて)、ずっと気が散っている。考えごとにまったく専念できん。あいかわらずこの問題は続いており、解決できていない。むずかしい~やだ~、というだけの話ではあった。