人事としての見解との折り合い
ある話し合いのなかで、「人事としての見解をうかがいたい」みたいな質問を受ける場面があって、即答できなかった。なにやらためらった。答えてはみたものの、見当はずれの(少なくとも相手が求めているものとは異なる文脈の)答えを返す羽目になっていたとも思う。
あとあと考えてみた結果として、そのとき相手の思惑に乗っかった答えを返さなくてたぶんよかったんだな、と思えるところもなくはなく(「人事としての見解」とか、乱暴なフリすぎるし、ただ単に自分に都合のよい答えを引き出そうとしてただけじゃん、と思えるところもあった)、とはいえ、急な質問に混乱させられたのはたしかで、そこは、なんとかしておきたかった。対策できたはずだと思う。
ここの混乱に関していえば、じぶんがふだん好ましく思っている方向性、態度、やりかたと、「人事としての見解」とやらを、どういうふうに折り合わせていけばよいのか、迷ってしまった結果だといえる。要するに、そのふたつを混同していた。もちろん、カンタンに区別つけられるものでもなく、迷って当然の難題、と言えるところもあったと思うのだけど、しかし、ふだんからしっかり考え、整理しておくことで、防げた問題だったんじゃないの?とも思う。混乱なくまっすぐ答えられるような問いではなくとも、わざわざこんなふうに、直前でぶつけられて戸惑う問題でもなかった。ただサボりが露見した。自業自得だった。そこは反省したい。
「人事として」とかいう枕詞でもっともらしく
「人事としての見解」って言葉はなにを指すんだろう?とは思った。
「人事」と呼ばれる仕事が、どういった目的のもとで配置されていて、そのために、どういう背景・文脈を背負うことになっており、結果、どういった合理的判断・行動が求められているのか、さらに、実現のためになにが必要と考えられているのか。このあたりをていねいに踏まえた回答が、つまるところ、「人事としての見解」ってやつになってくれるんじゃないか、とは考えられた。少なくとも、いまこうして挙げたような「目的」「文脈・背景」「合理的な判断・行為」「必要なもの」を、ぼく自身が、踏まえられていなかったら、答えようのない質問ではあったと感じている。
今回、突きつけられた質問(の文脈)を、あとあと、とらえなおしてみたら、おそらく、「誰に対してでも通用するような、万能で、しかも、一発できっちり効果が出るような、完璧な"𠮟りかた"を、説明してみせてよ、人事を謳うならそれくらいのことは言えるんじゃないの」、とかになるんじゃなかろうか。こちらのズレた回答を聞いたのちに、相手が語った話題の切り口を鑑みると、きっと、そういったところが求められていたんだと思う。
うーん、「人事として」とかいう、意味ありげな枕詞を持ちだして、勝手なもっともらしさを醸し出し、むちゃくちゃ雑なフリをしてきてただけやん、とはやはり思えてきたかな。
真っ当に、人事として妥当な答えを返すなら
ぼくに言えたのは、「そんなもん、そもそもその場にいなかった自分に聞かれても知らん、情報不足で判断しようがない、細かく質問させろ」「誰にでも通用するような正しいやりかたなんてないので、相手をちゃんと見て、どう伝えるか、個別に考えていくしかない」「一回の叱責でどうにかなると思うことがすでに間違いで、中長期での、目的、対策、手法を考えていくのが、まずやるべきことだろ」「教えられる側に問題があるなんて都合のよい思いこみは捨ててもらって、そもそも双方に問題・欠点・相性があるという前提で、改善策を模索してくれ」「こういうところは伸ばしにくいとか、こういう人間はこういうもんだからとか、わかりやすくて画一的な答えに飛びつかずに個別具体的に考えて 」くらいだったんじゃないかな。このあたりが、むしろ、「"人事として"妥当な答え」だったんじゃないかと思う。
それくらいのことが言えていればよかったんだろう。別にえらそうなことは言わなくてよかった。実際、言えなかったわけだけど、もし、えらそうに語っていたら、余計なことまで口にする羽目になっていたに違いない。相手が求めていた(であろう)「すぱっと言い切ってくれる」「甘やかさずに厳しく断言してくれる」みたいな、すかっとしたいだけの方向性は、いらなかった。少なくとも自分にとっては不要だった。そう結論づけておいてよい気がする。
専門知識的な知見も言えたほうがそれはよい
とはいえ、経営学・心理学・社会学あたりの知識を活かした、学術的知見による対処法というか、アドバイスもまた、求められていたんじゃなかろうか。追求みたいに見えた質問だったが、新たな見地のひろがりを求められていたのかもしれない。そういった意図の質問だったのかもしれない。可能性はなくもない。ディスカッションのようにして、議論を前に進めるための、参考意見。それに、たとえ今回はそういう狙いでなかったとしても、ときには、そういう話が求められることがあるはずだろう。話せるなら話せたほうがよい。役に立つ場面もきっとある。「人事としての見解」とやらの、ひとつの大事な側面を考えるなら、こういったところについても考えておかねばならなそう、とは思った。反省もしておく。
そもそも、人事を、労働法にまつわる知識を前提にしている職業、と見なすこともできるはずで、むしろこのあたり専門知識をふまえた動き(ができること)が、「人事として」の本懐な気も、しなくはない。
今回、求められていたのって、もしかしてこっち側の側面だったのかな?と、あらためて考えていたら気になってきたので、思い返してはみたものの、けどまあそんなことないか、っていうオチにはなった。今回された質問は、どう見ても、「どういうふうにダメ出ししたら、あのひとは、一発で反省し、なおそうと心がけますかね〜」みたいな、一意解と正当化のための問いであって、専門知識はほとんど関係なさそうだった。どういった専門知識があろうとそんなもんに答えなんかないわ、と思わされた。まあ、そこにあったアラの指摘もすべきだったんだろうと自戒もしつつだ。