世界は称賛に値する

日記を書きます

生きやすい生きかたや生きやすい考えかた、学習機会

▼▼生きやすい生きかた、生きやすい考えかた、って、じぶんで思いつけたやつ、ほとんどないような印象があって(まあ、運よく「現在行き着くことができて」いて、あとあとになって「言語化」する機会があったやつ、なら、まあまああるか、って思えたりもしているけれど)、だからまあやっぱり、読書なりなんなりで、人様のそういった判断や分析や決意、を、見せてもらっておく、っていうの、極めて有益な気がする、って思った。独学厳しいんじゃないかなって思った。
▼▼読書って大切なのか? という疑問に、昔は答えづらいという印象を持っていたのだけど、今だと、言うのは──言えるのは──言いたくなるのは、このあたりかな……、と考えていた。
▼▼いや別に雑談でもいーじゃん、むしろ議論なんかもいーじゃん、というか、目の前の人と実際に接して話しているなら同じことだろ、というのも思ったのだけれど、しかしとはいえ、雑談に「生きやすさに関する知見」を期待するのは、若干、無謀な気も(特に今となっては)する。雑談じゃなくて議論なら、まあ、よさそう、とも思う。でも、議論を軸にして人と接せられる機会、つまり議論ばっかりしてくれる相手、って、そんなに沢山あったりいたりしてくれますかね……、とも思ってしまうところはある、のだった。師匠的な人や説教的な人と接する、とかでも、同様の学びは得られるんじゃないかなー、とも思えるのだけれど、直接対話型だと感情や態度に関する制御も必要になってきそうで、効率、多少、落ちそうだしなあ。という意味でも、読書が効果的な雰囲気はある。無論、形態や媒体は別に「本」でなくてもよいのだけれど。