世界は称賛に値する

日記を書きます

不満のカーボン2/6月

なんで判定が甘いのか

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『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』の小説版をすこし前に読んで、思ったよりは普通、続きは読まなくてもいいかな、くらいのことを思っていたのだけど、最近始まったアニメ版をなんとなく見てみたら、かなり面白かった。見続けてしまった。なにが違うんだろうな、と思った(ちなみに、ライトノベルは特にだけど、続刊によって明確に面白くなっていくことがあるので、一巻だけで見切りをつけるのは愚かだとは思っている)。

ちょっといい感じの男性主人公(基本的には硬派気味)が、クラスの美少女と、なんらかのきっかけで仲良くなって、なんやかんや仲良くなっていく物語。特に、極めて哀しい出来事もつらい事件もひどいドンデン返しも起こることなく、ほどほどの日常の中でただ仲睦まじくしていくやつ。たくさんある。小説で読むとけっこうツライのだけど、まんがやアニメだと楽しめることが多い。これ、ほんとうになんでなんだろう、わからない、と思った。

最初に思ったのは、内面描写の量の違いが影響してるのかな、という仮説だった。小説だと内面が描きやすい。結果、増える。その多めの思考の内容を読んでいるうちに、耐えがたくなるんじゃないだろうか、というパターンだ。言ってしまうなら「ラブコメの主人公がしがちな思考内容があまりぼくの趣味じゃない問題」である。うーん、これはまあ、実際のところありそうかな~。非常に雑な言いかただが、ばかっぽくない?と思ってるときはときどきある。もちろん、ばかっぽくない主人公であることもあって、そういう人物は好きだし。対して、アニメやまんがの場合は、内面の描写がしづらく、量そのものが減ってしまうため、幸運にも「ばかっぽい」かどうかそういうを問題を思考の俎上に乗せるところまでいかせることができず、結果、楽しく見ることができる、という筋書きである(お隣様~の主人公がばかっぽいかは、微妙なところ。言うほどではないとも思うけれど)。

次に思ったのはリアリティラインの問題だった。自分の場合、小説に対してのほうが「リアリティ」を求める傾向がある気はしている。そのせいで、ラブコメの小説版を受け容れ難く感じてしまっている、というパターンだ。ちなみにここで言う「リアリティ」は、実際の現実に即して描かれているか(なので魔法とかの非現実要素は出さないで~)ではなく、描かれているそこにちゃんと「しっかり世界がある」ことを感じられるか、みたいな感覚だ。そんな確率の低いことさも当然のように出してこないで~というご都合主義とか、そんな社会や環境になるわけないじゃんか~という矛盾を感じたりすると、崩壊するやつである。これが、まんがやアニメに対しては、やや判定が甘い、緩い、という可能性だ。

描写とリアリティラインの話の合わせ技みたいな話になるけど、ぼくの中にある、小説に対して思う「これくらいはちゃんと描写してほしい!」という欲の強さが、まんがやアニメに対しては弱め、という問題もあるんじゃないかなと思った。言葉で書かれていると、こことここの説明の流れが変!違和感ある!言葉足りてない!って感じになってしまうのに、まんがやアニメの描写だと、同じものが描かれていても、そこまで気にしないまま済ませてしまっているようなことが、たぶんある。小説で、「~と思ったので、ぼくは××をした」って書いてたら、~って思ったくらいで××するかあ?ってツッコむ可能性があるのに、まんがやアニメという媒体の中で「~~」という脳内台詞を呟かせながら、ただただ「××したシーン」が描写されていたら、ツッコむ気になれない(ツッコめるだけの違和感に気づけない)、という感じだ。

あと、シンプルに、絵がある、音がある、声がある、といったところで、別種の満足感や充足感を感じていて、それをふくめたトータルの「快」の量で「よし」と判定しちゃってるパターンもありそうではある。小説の美少女よりは、絵で描かれた美少女のほうが、快がおおきい、と判定しているとかは、まああってもおかしくない。

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