世界は称賛に値する

日記を書きます

逆転モンスターの5/18木

木曜日

早起きもすっかり慣れた。というか昨日は早めに寝た。まあまあの睡眠充実感だ。昨日の夜からその気配は強かったけどほんとうに暑くなってきた。さすがに半袖にした。今日は二つほど大きな業務予定がある。Podcastを聞きながら職場に向かった。『超相対性理論』の「美とは何か」後編を聞き終えたあと、『コテンラジオ』の第41回ライト兄弟1回目を聞いた。『超相対性理論』の美の回は、昨日も書いたが、ほんとうにおもしろいな。話し手のひとりである渡邉康太郎氏の著書『コンテクストデザイン』はぜひ読んでみたくなった。青山ブックセンターでしか買えないっぽいかな。

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宣言

曜日を題目に挙げる形で、こんな日だ、こんなことをやりました、って書き始めるようにしたら、だいぶ日記っぽくなった。曜日がタイトルだとそういうほうへ流される。おもしろい。そしてこの雰囲気(いわゆる「日記」的な雰囲気)ってやっぱりよい。独特なすっきりした気持ちよさがある。健やかな空気が流れる。形態としての書きやすさも感じるし。しばらくはこの流れに乗っかって続けようと思えた。これを書くときに、一日の始まりのタイミングで、「今日はこれをやっておきたい」と宣言するのもアリなんじゃなかろうか、とも思った(日記としては非常にいまさらなおこないという気もするが)。いま読んでいる『LISTEN』はがしがしと読み進めたいな~。あと、勉強するする詐欺をしていて最近またサボっているので、それも進めよう。宣言しておけばまあ、ちょっとは意識するだろう。意識するかどうかでだいぶ変わる。

気取った言いかた

普段使わないような難解な言い回しを使ったときに、気取ってしまったな、というふうに思うことがある。この場合の、なんというか、アクセントが、「普段使わない」にあるのか「難解な」にあるのか、けっこう迷う。普段からよく使うものだったら「難解な言い回し」でも気取ってないことにしてよいのか? または、平易な言い回しであるなら「普段使わない」ものであっても気取ってないことにしてよいのか? と考え始めてしまい、ぜんぜんわからなくて困る。

「難解」についていえば

はた目から見た場合は、難解な言い回しのほうが”判定”しやすいはずなので、難解だ~と思ったら、そこに対し、気取っちゃって~、と言いやすいだろう。が、主観で見た場合は、平易な言い回しだけどあんまり好きじゃないため普段はぜんぜん使ってない、みたいな言い回しをあえて用いたときも、じゅうぶん「気取った」精神になる。ので、気取りの基準には迷う、というか、こちらがそうである、とは断言しがたい感じがある。

「普段使っているかどうか」についていえば

普段から使い慣れているひとならたとえ難解であろう言い回しを使っていても自然に見える(なので、気取ってますね~なんてツッコミがそもそも思い浮かばない)。そして逆に、使い慣れていないひとが無理に変な言い回しを使うとぎくしゃくして目立つよね~、なので、いうなれば「気取ってる」感じになるね~、みたいな話も見かけることがある。それってほんとうなのか?ほんとうに目立つのか?気づくのか?と思いつつ、しかし、たしかにそういうふうに感じた経験もあったりはするので、そのへんの区別も不明だ。