世界は称賛に値する

日記を書きます

峻厳マイセルフの5/15月

月曜日

起床時刻を早めてから数日たった。これまでの就寝時刻に床につこうとする癖はまだ残っていて、睡眠時間はやや短くなっている。油断すると睡魔に負けかねないので、しゃんとしたい気持ちはいちおうある。それが通用する睡魔としない睡魔がいるだろうけど、まあ負けるわけにもいかないし。対策は練りたい。そしてまあ、夜更かしをそろそろ諦めてもよいのかもな~。体調や健康を害すほどの価値があるかは微妙だ。

自分の時間。マイペース。単独行動。個人主義あるいは利己主義。まわりの人間による制限を少なくし(つまりひとりで)動きたいように動きたい欲、継続してあるにはあるけれど、うまいこと見つめ直してもよいタイミングかなとも思っている。それらにほんとうに価値があるか、少しだけあやしく思えてきたからだ。脳裡に強く刻まれた楽しさや気持ちよさを無意識に優先してしまっているだけではないかな~、って冷静に思えてきた。実は優先しなくてもまったく問題は起きないのではないか?と言える。というか、まわりを見ていて、そういった事柄じゃなさそうだ、って情報が、流石に得られている感じかな。だからって自我とか欲望をへんなふうにこじらせて、下手くそな諦めモードで動くようにしてしまうと、それはそれで、痛烈な反動を喰らいそうにも思えるので、安易には進めたくないのだけど。適切なスタンスはあるんだろうと思う。

しかしまあ理想論というか目標というか、いまそれがちゃんとできているわけではないのは、間違いない。明らかに中途半端だ。むしろその半端さを後押ししてうまく型に嵌めるために書いたともいえる。自分に言い聞かせる試みだった。なんにせよこういうのって中途半端が一番よくないんだよなと考えたりもした。ほんとうに"一番"かはわからないが(単なる常套句だ)、まあでも、「中途半端」は基本的によい働きをしないと、経験的に思うところはある。

起きてカーテンを開けたら雨が降っていた。週末からずっと天候は崩れている。雨を見るたびに「好きか好きじゃないか」話したくなる(つまり"問い"たくなる)癖はあって、とはいえ別に、毎回、その「問い」に触れさせなければならないわけでもないのだが、わかってはいても、気がつけば書いてしまうというか、良し悪しというか愛憎こもごもというか痛しかゆしというか、複雑な心持ちはあるのだと思う。「雨が降っていた」とひとことだけ書いて、それで描写を終わらせたことって、ほとんどない気がする。